こないだ人と話して昔のオタク(いかに他人が知らない事を数多く知ってるか)と今のオタク(みんなが知ってるものに触れる祭り型)の話になり、俺が昔のオタクと指摘されたんですが、どちらでもなくて誤解ですという弁明。他人の評価はどうでもよくて、自分が好きな作品を一つでも多く楽しんで死ぬ1/2
— karzusp (@karzusp) 2019年5月5日
そこに他者は入ってこない。これは命の残り時間からの逆算から辿り着いた人生の指針。仕事柄、アンテナの感度は高めておく必要があるから例えば5万部以上売れた漫画は最低1巻は必ず読む(ヒロユキ先生の受け売り)とかはやってますけど。パソ通時代は葉鍵の布教に熱心だったのに...枯れたんだろうか。
— karzusp (@karzusp) 2019年5月5日
正直なところ昔のオタクと呼ばれる人がすべてこんな感じで、今のオタク的な人はみなこうだよ、というわけでは無いけど。多分にこの傾向って、情報そのものの性質が変化したのが原因かな、という気がする。
世間一般の情報って、テレビとかラジオとか新聞とか雑誌とかで取得することがメインで、自分から積極的に何らかの情報を手に入れようとすると結構ハードルが高いし、だからこそ多くの人は共通項的なマスメディアからの情報に傾注してしまう。一方で、趣味嗜好のジャンルでは必然的にとがったものとなり、それは同時に不特定多数の人から見れば異質にすら覚えてしまう。専門家的なところが強かったのかな。
でも今は情報の取得ハードルはめがっさ低くなったし、広く浅くってのが容易にできるようになった。テレビで分からないことが語られても、その場でスマホで検索してさくりと理解できる。
昔の秘密クラブ的な楽しみ方から、ライブコンサートでの楽しみ方に主流がシフトしつつあるって感じかもしれない。
まぁ、一方で世の中がどのような変貌を遂げようと、自分が如何なる楽しみ方をするかってのは特に強要されるわけでは無い。指摘されている通り、他人の評価など(自分の楽しみの限りでは)知ったこっちゃない、自分が楽しめればそれでいい、それがオタクのあるべき姿だって考え方は、決して間違っていない。反社的・不法行為的なもので無い限り、趣味嗜好がいかなるものであっても別にいいじゃん、これは自分だけの世界の中での話なんだから、ってところだな。
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