フリーは目指すものじゃなくて成っているもの

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数日前に上がっていた記事にかかわるお話。自由業とか自営業といったフリーのポジションにある人は、そうできるだけのスキルやら経験が必要、というかそれが無いと存続し続けることは困難になる(親の遺産とか不労所得がある人は話が別だけど)。手段が無ければ目的は達成できない、はずなのにその目的と手段が入れ替わってしまっている。大海原を冒険するのには航海技術や船員、そして船、さらには時によっては各種許諾が必要なのに、そういうものを得ること自身が目的となってしまっている。

まぁ、その類のノウハウを売るビジネスってのは昔からあるわけだし(情報商材で一儲けとかねずみ講の類とか講演ビジネスとか)、突き詰めればゴールドラッシュで確実に儲けるのはズボンや工具を売る事だ、的なぶっちゃけ話になってしまう。昨今では産業構造の変化で自由業とか自営業の比率が増えているから、話題性としてもありなんだろう。

ただ、フリーランスってそれが目的じゃなくて、やるべきこと、やりたいことの効率とか方向性を突き詰めていくにあたり、選択肢の中に用意されていて、その中で最適解として選ばれた結果としてなっていくものだと思う。結果としてフリーランスになっているのであって、フリーランスになることが目的ってのは違うのだな。手段と目的が逆。


フリーランスというとなんかカッコイイようなイメージがあるし、世の中のあれこれにとらわれないという自由感も覚えるので、なにか職業的なものとしてサラリーマンとかコックさんと同じような格付けをされている雰囲気がある。けれど結局それって、野球選手になりたいからといってバットを欲しがり、それを得て満足してしまうってのと同じなんだな。

まぁ、フリーランス=ばりばり稼いで好きなことやって休暇たくさんといった、ごく一部の成功した感の強いクリエイター的ポジションにある人が注目されているからなのかもしれないけどね。

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このページは、不破雷蔵が2019年5月13日 07:40に書いた記事です。

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