とりあえず、社長とかCEOみたいな立場の人が自社のPRやlegalのチェックと承認なしにツイッテルランドで放言するのはやめた方が良いのではと思うなどしてゐる
— TJO (@TJO_datasci) 2019年5月17日
偉くなると裁量が増えるのが当たり前なのにツイートひとつ自由にできなくなるなんておかしいだろと思いつつ、見城徹氏がツイートを消したりkawango氏がTwitterアカウントを削除したのを見て、言葉を操る会社のトップが言葉に躓くのも皮肉なものだと思い、ZOZOの株価推移なんかを見ると悩ましいところ https://t.co/n8XSqSu6jU
— 楠 正憲 (@masanork) 2019年5月18日
某出版社のトップの放言で、出版社自身だけでなく業界全体のあれこれが吹き上がって色々と物議をかもしているけど。この類の指摘は一見するとなるほどと思ってしまう部分もある。偉くなったのだから色々とやったってかまわないはずでは、というもの。
ただ、これってツイッターだからってことでバイアスがかかってしまうのだけど、例えば同じ内容を公共の場で発言したらとか、公式サイトで言及したらどうなるだろうかと考えれば、理解はできるはず。公的な場における、当人の意思表示であることが明確にされた上でのものだから、組織全体における公式見解と同じ意味を持ってしまうんだね。居酒屋で酔っ払ってくだまきながらの戯言とはわけが違う(場合によってはそういう場での言及すら持ち上げられて騒がれることもあるけど)。
ツイッターの場合は意思表示のハードルが低く、しかも情報が広まりやすい。だから話題にも上りやすいまでの話。
あと、誤解をされているかもしれないので説明するけど、偉かろうが権限をいくらもっていようが、ツイートをいくらやっても問題は無い(ツイッターの規約とか法的に反するものは話が別)。ただ、発言した内容には相応の責任が生じるし、その責任は背負っているものが大きいほど大きくなるってこと。自由には責任とか義務が伴うものであり、それが無いのは自由奔放無責任であって、自由とは別物なのだな。
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