今日は、最近趣味でチェロを始めた熱心な40代の女性から、次のようなことを言われた。最近友人から、こんな年でチェロなんか始めて、プロになれるわけでもないし、たとえ弾けるようになったとしても、それが人生で何の役に立つのか?と聞かれたというのだ。
— DDC_violoncellista (@DDC_violoncelli) 2019年5月18日
こういう批判に対して先生はどう答えますかというので、チェロは音楽のための道具にすぎない、音楽は芸術の一種にすぎない。芸術は、世界を開示して、人間が世界との繋がりを取り戻すためのものである。したがって、我々はチェロと音楽を通じて、世界とつながる。
— DDC_violoncellista (@DDC_violoncelli) 2019年5月18日
世界から疎外されたまま一生を終えることも可能だけど、世界の示現を追求する人生は、その努力に見合う価値をもった人生になるんじゃないか、と答えておいた。
— DDC_violoncellista (@DDC_violoncelli) 2019年5月18日
「なんの役に立つんだ?」は文系研究者をいじめる定型句かと思っていたけど、趣味の世界の人にまで言うような奴がいるんだなぁ。しょうもない。実際、僕が言われたら、上記のようなことを滔々と述べるのではなく、「うるせー黙れ」と言うだけだな。
— DDC_violoncellista (@DDC_violoncelli) 2019年5月18日
趣味は多分にその人の好き嫌い、心地よい時間の過ごし方のツール的なところがあるから、それを手掛けた時点で役立っているっていえばそれでオシマイなのだけど、第三者にはその辺りが分かりづらいので、世間一般に効用が理解されていない、生産性があまり無いように見えるものは、「人生にとって何の役に立つのか」という指摘をされやすい。要はリソースを浪費しているだけじゃないか、というものだろう。
今件では表現方法や他人とのつながりのツールとしても役に立つと回答しているし、その内容・考え方は決して間違っていない。MMORPGで単に街中に座って他人とチャットしているのを見て、生産も戦闘もせずに何をしているのかと問われ、話をするのが有意義なんだよと答えているのを思い出したりする。物事の捉え方の違いってところかな。
というか他人に迷惑をかけたり法に抵触しているわけじゃないのだから、別に役立たないようなことをしたってかまわないじゃないか、という感じもする。助成金を受けているようなビジネスで同じようなことを語ると非難されるかもしれないけど、趣味の限りでは何をやろうが別に自由であるし、他人に咎められる筋合いはないのだろうな、と。
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