昔、バンプの藤原基央が「アイデアのメモは取らない。ほんとに良いなら、メモをしなくても覚えてるから」と言ってた。「おっ、そうだな」と思って僕も実践していたのだが、いいアイデアをなにひとつ覚えていない。その結果、「自分は藤原基央ではない」と気づいたので、最近は必死にメモしてる。
— tonkotutarou (@tonkotu0621) 2019年4月23日
本当によいことならば心に深く刻まれているはずだから、メモなど取らなくてもよいはずだ。覚えていないのならば、それは覚えるまでのものでは無い...という考え方ではあるのだろうけど。それって実のところはよほど記憶力のよい人でないと通用せず、大抵の人にとっては肝心のことを忘れてしまい、けど忘れたということは覚えている時に、「ああ、何か忘れてしまったような気がするけど、覚えていないのはきっと重要なことでは無かったのだな」と自分自身を慰め、諦める時の考え方でしかない。
もしかしたらそのアイデアが起死回生のものだったかもしれないし、少なくともそれに結び付くヒントとなるものだったかもしれないのに。でも忘れてしまうともう掘り起こせない。ごくまれに、別の方向から手繰り寄せて思い出したりするけど。
結局記憶ってのは無数に存在する引き出しに放り込むようなもの。思い出せないことが多分にあるのは、どこかにあることは間違い無いのだろうけど、それがどこにあるのか分からず、引き出す事が出来ない状態。インデックス化されていない、検索もできないファイルとでも表現できようか。
経験を重ねれば翻訳力は高まっていく、技術は上がっていく、運用語彙は増えていくなどというのは幻想である。嘘っぱちである。これはという訳を思いついたら、自作の辞書に日付つきで登録している。「うーむ。これどうしよう」→「18年前の俺、ありがとう......」となったことが何度あるか(´ω`)
— 葛葉 (@Cuznoha) 2019年5月19日
だから物理化されていないものに頼ると、思った通りの働きをせずに、頭を抱えることになってしまう。覚え書き、チェックリスト、ファイル化、何でもいいから体現化しておくこと。そしてそれを分かり易く、必要な時にはすぐに引き出せるようにしておくこと。そうすることで自分の記憶や経験を、より確かなものとしてストレージできる。外部記憶保存装置みたいなものとして使いこなせる。とにかく色々とぶち込んだ巨大な段ボール箱じゃなく、種類や用途別に区分し、ラベリングをして並べた引き出しとして自分の記憶経験を活かせる。
まぁ、その辺の仕組みの作り方ってのは人それぞれで、それを構築しようと思ったら意識的に作るという決心が必要になるし、周辺環境ですぐに変わってしまうから、色々と大変ではある。
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