川崎市の殺人事件、亡くなったり怪我をした人達は「罪のない人達」。その人達に哀悼の気持ちを持つことと「被害者の名前含む個人情報を知る事」は全く無関係。マスコミは、ただでさえ心身にダメージ受けてる被害者とその家族を取材でこれ以上痛めつけないでくれ。多くの視聴者はそんな情報望んでない。
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2019年5月28日
報道による被害者の実名や人となりの報道、必要性は何も無く。報道側による理由説明は「事件性を刻むため」との話ばかり。しかしそれは報道側の勝手な価値観の押し付けなのですね。事件の重さを実名で無ければ伝えられないのは、記者の文筆能力が足りないだけの話です。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年5月28日
「実名報道は大切な内容を読者の心に刻むために必要」
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2016年9月3日
『そうだよ』
「社説は会社全体の意思として皆に披露したい論説」
『そうだよ』
「ならば社説も実名、記名記事にしましょう」
『...』
「読者の心に刻みたくない、軽々しい話を会社全体の意見として毎日載せてるのですか」
『......』
先日発生した事案に絡んで、この類の事案が発生すると必ず生じる問題について。被害者やその関係者はもちろん、加害者ですらも、実名を報じる必要があるのかどうか。以前のような個人情報の漏えいがさほど二次的な影響を生じなかった昔ならいざしらず、現在ではそのような悠長な話はできないというのが実情。中世ヨーロッパなどでイメージされる、下水たれ流しの繁華街のような状況を現在でも行おうか、という話に等しい。
記者会見にしたって、個々の対象者への取材を抑えるために云々という話が繰り返されるけど、その記者会見によって個人対象者への取材が止んだのか、そんな話は聞いたことが無いのだけど。
事件報道における「人となり」の必要性の有無は報道サイドが勝手に決めているけれど https://t.co/sEwmagZoog とか 新たな報道名言「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります」が誕生しました https://t.co/JJV1QGysQn とか
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年5月28日
結局は以前指摘した通りの話ってまでのことなんだけど、折角手にしたお手軽なツールを手放してなるものか、例えそれが実害を与えるものであっても、社会正義や使命を振りかざせば無問題さ、という辺りなのだろう。本音としては。ただそれはあまりにもぶっちゃけすぎているので、色々と社会的な大義名分を掲げているまでの話。
「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります」って話ですらよく読み返すと、記者自身が「自分は無能なので相手に実害を与えてもプライバシーを暴露させたいです」と宣言しているのと同じなんだよね。
「自分は勉強したくないし頭もよくないから、カンニングして大学に入りたい」とか、「働くのは嫌だけど贅沢をしたいから他人の物を盗んで楽をしたい」とどれほどの違いがあるのかな、と。そんな話を堂々と語れるってのは、ある意味尊敬してしまうのだな。
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