どうもマスコミ関係者は、SNSが発達したことによって、自分達が殴るだけでなく、殴られる存在になったことを理解できないか認めたくないように見受けられるな。
— りんもっく (@lynmock) 2019年6月2日
ここは平等なんだ。どんな肩書きがある相手でもおかしなことをすれば「声を上げるヒトは声を上げる」
いい加減に認めて適応した方がいい。
先日から某ワイドショー的な番組で結構なポジションにあった人が本格的に一般、ネット界隈にも発信を始めたら、その内容のアレさにフルボッコを多方面から食らって、その実情に「私は迫害されている」的な意見表明をしたら、さらにそのスットコさにフルボッコを受けている状態を見て。テレビやラジオ、新聞などで活躍していた方々がネット界隈にも顔を出すと、少なからず場合において似たような状態となる。
これって結局指摘の通り、一方方向の自由から相互方向性の自由に変わったことに対応できていないということでは無いかな、と。ある意味不平等な特権階級だった人が、その特権が維持されている、当たり前のものだという認識を持ったままで、平等扱いされる場に足を運んだという感じ。ドッジボールならば反撃を受けることなく外野から一方的に球をぶつけられる状態だったのが、内野に入って外野とか敵方の内野からボールをぶつけられるような状態になったというもの。しかも当人自身は何らパワーアップとか進化とかしたわけじゃない。ポジションが変わっただけ。
自分にある自由は当然他人にも平等に与えられている。ある意味、バトルロワイヤル的な場ではある。何を語っても自由だけど、その内容について他の人が正論や正当性、証拠などを挙げて反論や意見具申やツッコミや注意をするのもまた自由。また、法的な、倫理的な、社会上の問題を挙げて注意するのも自由。自分が語るのは自由だけど、その内容にツッコミを入れるのは黙れ、ってのはおかしな話。でもそれが出来たのが、テレビやラジオ、新聞のような旧来型メディアに属していた人たち。
その様式に慣れてしまっているから、四方八方からツッコミやら反論がくると、パニックに陥ってしまったり、地の一面が出てしまったり、逆キレしてしまうのだな。ある意味、新しい環境に適応できない状態なのかもしれない。冷たいところから急に熱湯に入って、身体がびっくりしちゃうようなものだろうなあ、と。
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