「学校に行かない」選択の難しさ

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前提の話として中学校などでいじめがあった場合、その学校から離れて別の学校に行くとか、不登校状態となってみるとかいう選択肢があるよね、という意見に対するお話。これって大人になってしまうと忘れてしまう人が結構多いと思うのだけど。そして以前も取り上げた記憶はあるのだけど。小中高校生、もしかすると大学生ぐらいまでって、保護者の庇護下にある状態なので、世界ってのがもの凄く狭まった存在でしかないんだよね、自分自身って。

大人になったら例えば会社を辞めて他の会社に行けばいい、フリーランスで働けばいいって話もあるけど、ローンの問題とか家族のしがらみとかあって難しいってのがある。未成年者の場合はさらに地域社会全体が学校と浅からぬ連動性があるし、日常生活でも強いつながりがあるので、学校を辞める、転校する、不登校になるってのは、それらすべてと断絶することを意味しかねない。自分はしゃべらないつもりで口をふさいだだけなのに、食事もできなくなるし息もできなくなる、的な感じ。

第一学校ってのは子供にとっては、保護者同様に絶対神的な存在だったりする。逆らったら何をされるか分からない。自分の人生が大きく揺るがされてしまう、それしかないのだから従うしかない。まるで生まれた時から常に頭上に居る神様みたいな存在。そこから逃れるだなんてとてもとても......というイメージが少なからずある。

むしろ逆で、学校側はそのような子供と学校のつながりの深さを知っているからこそ、色々な強要をしてくるケースもあるのかもしれない。それが教育だ、と主張することもあるだろう。

これって何となく、企業の人材雇用と流動性の問題に似ている気がする。無論子供の場合は日常生活に深くかかわってくるところがあるから、より強い縛りがあるのは当然なのだけど。

流動性を高めて自由度を上げれば、今件で指摘されているような事案の解消法として「学校に行かない」という選択肢ももっと一般的になる。実際にその選択肢を選ばないとしても、選択肢があるというだけで随分と気持ちは楽になる。けれど一方で、そのような状態を作るために社会全体が用意しなければならないリソースは膨大なものとなる。いわゆる費用対効果の上でそれは許容できるものなのか。色々と考えさせられる話には違いない。

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このページは、不破雷蔵が2019年6月 3日 07:56に書いた記事です。

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