貧困の苦しみと言うのは物理的なその瞬間の苦しみだけでなくそこから逃れる明日が見えない苦しみで、限られた一定期間がまんすればこの苦しみから逃れて戻る場所がある、という人間にはけして味わうことのできないものだと思う。実際に溺れている人と洗面器に顔をつけて息を止めてる人くらい違うかと。
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) 2018年7月3日
僕も昔、仕事がなくて貯金が尽きかけた時、恐怖で体が動かなくなって一日中ふとんの中で震えていたことがあります。そういう時こそ必死で何か描いたり仕事を探したりしなきゃいけないとわかっていても、心が押し潰されて何も出来ないことがあると知りました。 https://t.co/ryUun5Cji1
— 大西巷一@『乙女戦争』最終12巻6/12発売! (@kouichi_ohnishi) 2018年7月4日
以前自殺絡みの話で人が絶望するのは現状の問題ではなく、その状況が将来も続くだろうという未来への絶望から来るものだという話をした。本家サイトでも海外の意識調査関連で、結局多様な不満や不信は、多分に経済状態に関係があるとの結果が山ほど出ている。そしてお金ってのはそもそも論として多様な価値や時間などのリソースを数字化して蓄積したりやり取りするための概念的な道具として生み出されたものだという話もしていたりする。
結局のところお金ってのは生物における血流みたいなもので、それが止まってしまったり流れが衰えるってのが貧困状態だといえる。今は生きていてもこのままだと息絶えてしまうかもしれない、そのプレッシャーが肉体的にも精神的にも大きなかせとなる。保険的なものがあればもしこれがダメでもなんとかなるだろうという安全弁というか退避場所的なものはあるけど、それが無いと常に死と隣り合わせ。通常の精神の持ち主ではとてもじゃないけどやってられない。
今はどうかは知らないけど昔の物語ではよく「お前は失敗しても実家の跡を継げばいいから気が楽だよ」というフレーズが用いられていた。まさにそんな感じが貧困の苦しみが無い状態。見方を変えると泳げない人が足がぎりぎりつくような海辺で取り残されてしまったようなもの。背伸びをすれば呼吸はできるけど、辺り一面は海で陸地は見えないし、船もつかめそうなものも浮いていない。貧困による絶望とはこれほどのものとなる。
何を大げさな、とか話半分で、と考える人もいるかもしれない。けれどこの話は人によって感じ取る度合いは異なるだろうけど、間違いではない。まさに実際に体験してみないと分からない類の話ではあるし、知らない方が幸せには違いないのだけど。お金がない、それが将来も続くかもしれない、さらにその類の未来が通帳の残高とか将来の入金予定とかを考えると確率の高いものであるということが分かってしまうと、それだけでモチベーションは下がるどころか身体も頭の中の思考も動かなくなってしまうんだよね。シャレじゃないけどまさに金縛りって感じになる。
便利な世の中にするために作られた概念であるお金に押しつぶされそうになるのは、なんか理不尽な話ではあるけど、実際としてそういうものであるってことは、もしまだこの類の経験をしたことが無いのなら、知っておいた方がいい。
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