別にネガティヴな事件の絶対量は増えてないのに、ネガティヴな事件の流通量が増えてるので、世の中がどんどん悪くなるように見える問題。もっとポジティヴな意見をタイムラインに流したい。
— 深津 貴之 / THE GUILD (@fladdict) 2019年5月29日
情報の伝達手段が多様化して利用ハードルが下がり、さらに蓄積や検索が容易になったことで(そもそも「検索」というキーワード自身、この10-20年ぐらいで大きく意味が変わっているはず)、ニュースというものの存在意義、価値観、利用状態も大きな変化を遂げている。それこそ20年ぐらい前のニュースと今のニュースとでは、社会の上でのポジションは随分と違っているはず。
そうなると、かつては箸にも棒にもかからなかったような情報ですら、ニュースとして取り上げられ得る。発信源にとって色々と都合のよい素材であればあるほど、その可能性は高くなる。思惑として印象付けさせたい、誘導したい、とにかく注目を集めたい。ユーチューバーの炎上とか、反社界隈の動画による犯罪お披露目に至るまでのプロセスとさほど変わりは無い。
よい例が交通事故とか凶悪犯罪。数は減っているし、対人口比でもおおよそ減少中。少年犯罪もそう。にもかかわらず、注目を集めやすい、社会叩きに使いやすいからということで、繰り返し、大げさに伝えられる。何しろ人も生物だから、ポジティブな話よりもネガティブな話の方に注目してしまうもの。ネガティブ話は聞き逃すと自分の命にかかわりかねないから。つまり生き死にの問題となり、本能部分が反応してしまう。
そして本能による反応だろうと興味による反応だろうと、送り手側の利益にとっては何ら関係が無い。猫だましでもツッパリでも反則ギリギリの技でも、勝てば勝ち星に変わり無しってこと。ならば楽に自分の利益を達することができる、ネガティブな事件・情報の方が選択されやすくなるのはモノの道理。100円で売るものを作るのに、80円の経費で3時間かかるものと、50円で1時間で済むものがあったら、後者を選ぶのに決まっている。
ただ、受け手は往々にして、送り手が公明正大なポジションから世の中のあれこれを抽出していると思ってしまうので、送り出されてくるニュースがネガティブなものばかりとなると、世の中全体が悪いものという誤解を生じてしまう。明確なものでは無く、何となくのレベルで、けれどしっかりと、確実に。
何度か使っている表現「碁石入れから意図的に黒石のみを繰り返し拾い上げ披露すると、見ている人は碁石入れには黒石しか入っていないように思ってしまう」ってこと。
「だってネガティブなニュースの方がコスパはいいんだもん」が報道の内なる意見でしょうね。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年5月29日
・本質的に人はネガな情報に注目しやすい
・テンプレ盛りだくさん
・社会や体制叩きにもつなげやすい
・報道自身の社会正義の充足感も得やすいhttps://t.co/lDyOH22FjA
ざっとまとめるとこんな感じ。果たして報道の中の人達は、どれほどこれを自覚しているのか。自覚した上での昨今のあれこれなら始末が悪いし、無意識でのものならなお悪い。
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