不破さんには耳にタコでしょうがもう一度。「恥とは、それを共有する集団の中でのみ意味を持つ概念です」 @Fuwarin 「恥を知れ」
— 言峰_愉悦部副部長 (@k_kotomine) 2019年6月14日
知れるような恥が少しでもあるのなら、あの方々はいまだに議員をしているはずはありません。
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あまりにも非論理的、非合理的、まともで無い行動や発言をした対象に、「恥知らず」と非難をしたり、「恥を知れ」と諭すことがある。けどこの言い回しって、指摘されているように考え直してみると、色々と奥深かったりする。
そもそも論として「恥知らず」とか「恥を知れ」とかというのは、「恥」という概念を認識していないと理解そのものが出来ない、対応が不可能な概念ではある。箸の使い方というか箸そのものを知らない人に、手づかみじゃなくて箸を使って食べなさいと指摘しても、使い方がよく分からないどころか、箸そのものが何であるのかが分からない。
つまり「恥知らず」とは「通常の社会通念を持ち合わせていない変質的存在である」を意味するもので、それをオブラートで1メートルぐらいの厚みで包んだ感じのものとなる。いや、もっと簡単に「恥知らずは常識知らず」の方が分かりやすいかな。
「恥」というのは社会通念、常識によって成り立つものであるから、それを知らない「恥知らず」とは社会通念から外れた存在である、というわけだ。羞恥心が無い行為や格好をしている人に「恥知らず」という指摘をすることがあるけど、それは結局、そういうことをするのは回避すべきだという一般常識を知らないことを指摘しているわけだからね。「恥を知れ」とは、一般常識を知っていればありえないような行為をしているのだから、常識を知ってそのような行為を止めなさいと諭しているわけだ。
「恥知らず」とか「恥を知れ」とか、ごく一般的なフレーズではあるのだけど、考え直してみると色々と奥深いものだなと感じる次第ではある。
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