ネットが隆盛し始めたとき、自分は直感的に「アーカイブが重要になる時代が来る」と思った。アーカイブが重要になるということは、もちろん中長期的な考察やら証言などが重要になるということ。
— 斉藤久典 (@saitohisanori) 2019年6月30日
ネットがアーカイブ機能を持つと期待したんだけど、そうはならなかったというか、逆に様々なサービス停止で情報が雲散霧消して全く残らない時代になるとは予想出来なかった... https://t.co/65lZPYZAHT
— なぢ (@nadhirin) 2019年6月30日
インターネットの登場で情報は産業革命ばりの変質を遂げることになった。蓄積性と検索性でそれこそ次元が変わるほどの有益性を持つことになった......はずではあるのだけど。例えばロングテールの話もその恩恵を受けているものの一つなんだけど。どうも現実としてはあまりうまくいっていないのかもな、という印象もある。
指摘されている通り、情報の変質に伴う取り扱いの仕方をちゃんと概念ベースで理解して手掛ける人の存在が重要視されねばならず、その類のノウハウやスキルを持つ人には相応の評価対価が必要となる。また情報を扱うサービスにしても、継続性が必要不可欠ではあるし、万一サービスが終わらねばならなくなった時には何らかの代替手段が必要となる......のだけど、電書での例にもあるように、かなりいい加減というか軽視されているのが実情。ネトゲのアーカイブも似たような話かな。
グーグルも10年以上前の情報については、事実上無かったことにするぐらいとなってしまっている。正直これって、例の「Don't be Evil」から「Do the Right Thing」になったことぐらいの愚かしさではないかと思うのだけど。
中長期的な考察やら証言などは軽視され、その場のインパクトや感情的なものが重視される。ツライさんがダース単位でエグザイルな状態って感じだ。日々の情報検証と提示をしても軽んじられて、その場その場のインパクトのあるいい加減な話が重要視され、検索エンジン側でも単にドメインとか肩書のみでウェイトを置くようになっている。情報化社会とはいえ、その情報の本質を認識している人には冬の時代なのかもしれないな。
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