先日のNHKでの年金関連の職員が定年退職したのがわざわざニュースになったり、時事通信の公的年金のみが所得という高齢者世帯が半数というのがわざわざ伝えられたり(昔からの話)、当たり前のことをあえて騒ぐ報道は、多分に伝え手側の「騒げ」「注目しろ」「叩け」という意図が強く見えてくるのです。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月2日
これこそがまさに「私達記者は正義、がんばる」「ニュースにするかどうかは記者が決める。自分達が伝えなくてもいいと思ったから伝えなかった」などに現れる、報道従事者による世論形成の具体的な形でありますね。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月2日
火のないところに煙は立たないというけど、火が無ければ自身でつければいいじゃないか、どんなものでも燃えるものだしというのが、昨今の報道なのだなあという感を覚える事案が相次いでいる。「事件は現場で起きてるんじゃない、俺達報道が作ってるんンだっ」的な。
例に挙げているのはこの一両日で相次ぎ伝えられたお話で、どちらも当たり前というか、それをわざわざ注目トピックスとして報道するだけの必要性はどこにあるのか、と考えると、普通の物差しで考えればその正当性はどこにも無く、それがかように騒がしく伝えられている理由を考えると、報道側による明確な「騒いで」「不安になって」「注目して」「踊らされて」という意図が見えてくる。何らかの基準ですくい上げられたのならば、その基準は何だろうかと考えればいいわけだな。
このような考え方で報じられるあれこれを見ると、報道従事者による世論形成のスタイルってのが見えてくるわけだ。
新聞で見かける「波紋が広がりそうだ」「議論を呼びそうだ」は記者や新聞自身の想いを込めたメッセージ https://t.co/bJ22fbaQwi 覚え書き再送
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月3日
実のところこの類のスタイルには一定のテンプレ的なフレーズがあり、それを見透かす事で報道記事の信ぴょう性をさくりと判断できたりする。このフレーズについては以前から集約して記事にしている次第。一部は書き手がくせになって無意識のうちに使ってしまっているというのもあるかもしれないけどね。まるで国語のテストを受けているような感覚ではある。
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