フォロワー数は戦闘力じゃありません!!
— 舩木/FNK/同人デザイン (@jimgi0509) 2019年6月30日
自分の癖(ヘキ)にフィットするイラストレーターさんのフォロワー数が思ったより少ない場合は、逆に原石を見つけた感動に震える。。。
「あれ、この鉱山、誰も掘ってない♪」
インスタグラムとかフェイスブックのフェイスブックページではまた別の話になるのだけど。ツイッターのフォロワー数ってのは戦闘力という表現で簡単に表現できるような類で無いのは確か。よく「フォロワー数が●人だから自分の支持者は●人だ」という話があるけど、実際のフォロワーさんってのはその話の通りに好きだからフォローしているって人以外に、何となくとか気になったツイートをしたので覚え書き的にとか、動物園のチンパンジーを見るような感覚でとか、気に入らない奴だから粗さがしをしてやろうとか、ポジネガ様々な思惑で、だったりする。だから戦闘力と表現すると、実際に戦いに使う際に握った自分の手が血で染まってしまったり、自分の頭めがけて殴りかかってきたり、明後日の方向に飛んで行ってしまったりする場合もある。
これって戦闘力というよりは、無料でお試し配布している新聞の発行部数的なもの、フリーペーパーの部数という表現の方が近い気がする。あるいはテレビの電波が届く場所にあるテレビの台数、とした方がいいのだろうか。
それでも公知力があることに違いはないので、その辺りの概念をしっかりと認識していればいいのだけと。
他方、後半で指摘されている「フォロワー数がごく少数で、あまり知られていないと思われる方を見つけた」時のうれしさというか、お宝発見的な喜びは、ものすごくよくわかるって感じ。当方も好きな作品を見つけたり、お掃除中に発見した昔好きだった作品の作者を検索したらツイッターをやっていて、けれどフォロワー数があまりいなかった時に、似たような喜びを覚えたりする。
オークションでも類似のパターンもあるんだよね。誰も入札してなくて、なんかヤバい雰囲気の出品の可能性もあるけど、むしろ「俺じゃなきゃ見逃しちゃうね」的なものだったってこともある。そういうものを落札できた時の喜びってのは、まさに隠れ金山を掘り当てた時のようなものに等しかったりするのだな。
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