自分の経験からすると、子どもを本好きにしたいのなら、読書感想文はあまり効果的ではない気がする。良い感想文を書くために読まなければならないという縛りが生じると、自由に物語の世界で遊ぶことがどうしてもできなくなる。
— 金井真弓(Mayumi Kanai) (@makohuck) 2019年4月24日
読書など、何かを勧めるには、まず「これは楽しいかも!?」と無条件で思ってもらうこと。感想文を書かせて評価するのは下策中の下策。学校時代は、勉強、運動、容姿、性格、部活、親の職業、兄弟姉妹......あらゆる方面から、あらゆる比較と競争と評価にさらされている。評価されるのはうんざりなんだ。
— 葛葉 (@Cuznoha) 2019年7月9日
小学校の頃、頭の中に「上手に見せようとする意識」とか「別にこれと言った感想無いんだけどな...」とか「面白くなかった...はあかんやろな」など、いろいろなことが渦巻いて「時間内に感想文が書けない人」だったので、読書感想文が好きにはなれませんでした。
— あやか (@ksrgayk) 2019年7月9日
何を体験しても「面白かった」くらいの感想しか湧かない人間で、3行書くのも苦痛でした。教師(上司)が喜ぶような内容を書くための訓練なんだと割り切って、心にもない感想を完全に創作しました。読書にせよ音楽会にせよ観劇会にせよ、エンタメなのだからエンタメとして楽しませてほしいものです...。
— 葛葉 (@Cuznoha) 2019年7月9日
当方も本を読むのは好きなんだけど、その本を読んだ上で読書感想文を書かされるのはとてもいやだった。文書の再構築ができず、書き直しも面倒くさい原稿用紙の上で、読んだ本の内容をつらつらと書き連ねていくのは、それだけて苦行となる。さらに内容を他人に読まれ、その上ダメ出しをされてしまうことも多々ある。
読書と連動する形でイヤなことが生じるというパターンが継続すると、読書そのものもイヤになってしまいかねない。そりゃ、文を書くのが好きな人もいるし、今ではワープロで編集をした上で原稿用紙に清書することも可能なんだろうけど(本末転倒だけどね)。当方は絶望的に文字が汚いので、文字を直接書くことには大変イヤな思いをしていたので、さらに感想文への嫌悪感は大きなものだったんだよなあ。
教え手側からすれば、しっかりと本を読んだか否かを確認するため、読解力のチェックなどの観点で、読書感想文は必要だという主張もあるだろう。また、文書構築の修練の経験値を積み重ねるのには、読書感想文という機会は最適だとの考えもある。けれど、だからといって嫌なことを強要されるってのは、やはり理不尽感は否めない。
何かうまい方法はないかなあ。
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