「知っている人はリツイート」みたいな投稿って、調査としては合理的じゃないやり方だけど簡単にバズ(自己肯定感でもいいか)を生む仕組みとしては良く出来てるんですよね。
— Takashi Kawai (@yrik) 2019年7月9日
自分は知っている=仲間意識を刺激することでポジティブな動機として参加しやすいし。
— Takashi Kawai (@yrik) 2019年7月9日
かつ、拡散することに心理的抵抗を感じないってことはその対象の近隣には嗜好や文化圏が似たユーザがフォロワーとして居る可能性が高いわけなんですよ。
(逆に見ると知ってる奴にだけ広がりやすい仕組みなんだからそりゃ伸びるし調査にはならん)
— Takashi Kawai (@yrik) 2019年7月9日
実のところタイトルにあるようなフレーズをツイッターでツイートする人は多分に、単にRTをゲットして自分のアカウントの知名度を上げ、あわよくばフォロワーを増やそうという宣伝手法を使っているだけに過ぎず、アカウントを確認するとその類のものばかりだったりするのオチ。しかも微妙にコアな、それでいてそれなりに知名度が高いものの方が注目されやすいから、その類のネタをあちこちからパクッてきていたりする。似たようなケースとしては「調査していますので」とかいうのもあるな。全然調査して無いやん、みたいな。
その辺りのツイートに関する分析話だけど、確かにその通りとうなづかざるを得ない。同調感を得られるというか、ネタ話で受ける要素の一つ「あるある話」と同じ切り口だったりするし、ね。
ただ、そういう性質のものだから、不作為抽出とかアトランダムとかによる調査と違い、単に自分のことを知っている人がメインの母集団となる(RTで発信元が知らない人に広まる可能性もあるから、閉じた母集団ではない)投票でしかないため、人気投票以上の精度はなかったりする。猫好きを表明していつも猫の写真をアップしているアカウントで「あなたは犬と猫、どちらが好きですか」と聞くようなものだ。
ツイッターに限らずソーシャルメディアにおいては、その情報を取得する相手というのは限定されてしまう。特にそのアカウントの性質に絞られた形となる。だからその内部での調査ってのは、投票以上の意味合いは無くなるというわけだ。
ここまで書いてきて2つほど気が付いた。1つは「仲間意識を刺激することでポジティブな動機として参加しやすい」ってのは、狂信的な組織集団の中で信奉を確認強化するための試験のようなものだな、と。踏み絵みたいな。
そしてもう1つは、「仲間」ってのは既存のメディアでも似たようなことが言えるのではないかな、少々濃度は薄いけど。例えばA新聞の読者ってのはA新聞が好きだから読んでいる人が多分にいるわけで。A新聞の方向性や特質と多分に軸が近寄っているわけだ。結果として、読者アンケートを取ると新聞社の向きにマッチした、都合のよい結果が出やすくなるんだな、と。
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