読書感想文は必要なのか否か、別の物でもいいのでは

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先日の【読書感想文の存在意義】の話をいまだに引きずっていたりする。当方も本を読むのは好きで情報へのあこがれってのも本読みから生まれたようなものだけど、同時にそれで書かされる読書感想文はダイナミック嫌なものだったのも心に深い傷として残っているからだろう。文字はへたくそだし文書の切り貼りという概念が無くて書くのに随分と苦労させられたから。仕事で文筆をする機会が生じてからも、しばらくは原稿用紙に直書きだったので、かなり難儀したのもネガティブな印象としてだぶってしまっているのだろうな。

で、読書感想文って何のために存在しているのかということを考えると、別に感想文でなくてもいいじゃないのかな、という考えにいたるようになった。本をちゃんと読んだか否かの確認、文書の構築力の形成訓練、書くこと自体への慣れ。それならむしろ、自分の思惑を文字化するという訓練はのぞかれてしまうけど、本の内容の要約でもいいんじゃないかなと考えるようになった。これなら骨子を正しく把握するという訓練としては、最適なものになる。どこぞのメディア関係者のように、勝手判断で斜め上の要約をしてしまうというミスも少なくなるだろう。

量のあるコンテンツを正しく要約するってのは、簡単なようで実は大変。テクニックの類も無くは無いけど、基本的には訓練で鍛えていくしかない。その観点では、子供のうちからトレーニングするってのは悪くは無いと思うのだけどね。

無論、自分が思っている事を具体的に文書化するってことは、別の機会で修練する必要が出てくるのだけど。

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このページは、不破雷蔵が2019年7月11日 07:20に書いた記事です。

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