45歳過ぎたときボクは自分の「これまで」より「これから」のほうが短いだろうことに気づいてハッとした。仮に「これまで」と同じ時間があったとしてもやりたいことや夢の全部を叶えるのは難しいとも思った。だから誰かを羨んだり妬んだりディスったりしてる暇はないの(笑)
— うるの拓也@電子書籍&ブログ読んでね (@takuya_uruno) 2019年7月14日
須賀原洋行氏の漫画「気分は形而上」で、人には誰にも折り返し地点があって、ある日突然それが見えるようになり、それに気が付くと色々と人生そのものを考え直すようになるという話があったけど、それを思い起こさせるお話。とはいえ人によっては、突然折り返し地点どころか終末点が見えてしまったり、足を踏み入れてしまうこともあるわけで、すべての人に当てはまるわけでは無いのだけど。
だいたいの人は平均寿命から逆算して、年齢的に40代になったあたりで「これまで」より「これから」の方が短いことに気が付いてしまう。終わりに向けて歩いているとの考えが大きくなってしまうのだな。年齢と共に人が保守的、防御的になるのも、この考え方が浮かんでくるからなのかもしれない。
「パンプキンシザーズ」でも某博士が「やりたいことが山ほどあるのに自分に残された時間はあまりにも少ない」って嘆くエピソードがあったけど、それは単に博士だけの話では無く、多くの人にも共有する思い出は無いかと思う。それに気が付くようになるのが、まさに折り返し地点なのだろう。
ともあれ、残りがあと半分以下ってことに気が付くと、自分の時間の大切さがしみじみと分かるようになる。余計なことをする暇は自分には残されていない、コスパの悪いことなど優先順位は選外レベルでかまわないと考えるのも道理ではある。ある意味、悟りってことなのかもしれないな、このような心境は。
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