「自分達は正しい事を主張しているのだから、選挙違反は許容される」的な雰囲気、主張を持つ界隈、政派があるようですが。選挙の関連法は正当に、公平に選挙が行われるために存在するのです。それを意図的に破る行為は、選挙そのものへの冒涜であり、否定でもあります。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月16日
選挙の関連法に限りませんけどね。法律がなぜ存在するのか、それを考えるべきでしょう。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月16日
参議院議員選挙も終盤に入り、選挙の関連法に違反する行為がもりもりとソーシャルメディア上で指摘されるようになった。中にはフェイクやコラの類もあるので油断は禁物だけど、まさに一億総記者時代であるという感じ。なにしろスマホがあれば写真はおろか映像ですら取得して公知することが可能なのだから。
指摘された行為をした張本人やその関係者、そしてそれを統括する組織側の反応は多分に、指摘行為に反省をして謝罪をし、もうしません的な表明をして、自分のしたことが悪いという認識を持つことは無い。聞く耳を持たない、違法行為ではない、さらには自分達は正論を主張しているのだからこのような行為は正当化される、さらには文句言うのならかかってこい的なヤクザも驚く脅迫行為に走るパターンすらある。
慣例として特異な例を除けば公職選挙法違反の類は選挙期間中は捕まらないというのがあるようだけど、それでは違法行為のやり逃げが成立してしまう。誰もが容易に証拠を保全し、提示できる時代となっているのだから、法の執行も相応に、正しく行うようにすべきではないかなと思うのだな。
法は何のために存在するのか。基本的にはそれを皆が守ることで、全体にとって利益が得られるようにするために作られている。法が無く何でもアリな世界はヒャッハーが闊歩し暴力が支配する世の中になってしまう。それを望むのであれば、そういう人達だけで独自の国でも作ればいい。少なくとも近代的な物ごとの考え方では無い。
また、「自分達の考えは正しいから、違法行為も許される」という発想で違法行為を成している候補者やその関係者を見るに、立法府の議員が遵法意識を持たずしてどうするのか、というツッコミをしたくなる。また、かの人達の考え方はまさに「私達記者は正義、がんばる」と同じような、独善的な物事の方法論に他ならない気がするのだな。
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