「息苦しくなった」のは社会や環境が悪くなったのではなく、自分達の姿勢が問われるようになったから

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どこぞの新聞社の結構地位を持つ記者がドヤ顔的に「物言えぬ社会」「今の政治体制が悪い」的なことを言っているけど。根本的な問題として、そのような言及をしている、第三者に開示できていること次第、「物言えぬ社会」では無い気がする。つまり、言及そのものが矛盾しているわけだ。

あるいはそれが言い難い、息苦しさを覚えるようになったのなら、不特定多数からツッコミ返されるようになったまでの話であり、「今まで通り俺達に一方的に語らせろ」というワガママでしかない。「おかしくないか?」とは語っている記者側そのものの考え方に他ならない。

この実情は以前から言及していたように、『「物言えぬ社会」って「RTやいいねしてもらえない」ってことだよね」』とか、『「物言えぬ社会」って今まで言いたい放題できたのに、すぐにデータや裏付け込みで反論が返ってくるようになってやりにくくなった』ってことだよね、と。

要は情報の質の変化、一方向性から双方向性にシフトしたことに慣れていない、耐えられないからこその表現が「物言えぬ社会」なのですね。


このへんの話は何度となく繰り返し説明している。同じことが繰り返されるってことは、報道界隈は何も変わっていないということでもある。一方向で一方的に投げることができた時代から、投げ返される時代に。本来ならばそれがあるべき姿で、技術やインフラ整備の都合でできなかったまでの話。鉄道や自動車の普及で馬車が衰退していくようなものでもある。


ただ、よく考えてみると一方向性から双方向性へのシフトって話も、指摘されている通り、従来のコミュニケーションでは双方向性が当たり前だったわけで。まったく知らなかった、やり方や対応の仕方が分からないってことは無かったはずなんだよね。

...つまり、それらの手段でも報道界隈は多分に、一方向性的な感覚でやっていた、一方的に従わせるようなポジションで対応していたという可能性はある。そしてそれは的外れでもないのかな、というのは、何度か報道各界から受けたメールを読み返すことで納得できたりもするのだな。悪い意味で王侯貴族の立場にいるような感じなのだろう。

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このページは、不破雷蔵が2019年7月19日 07:31に書いた記事です。

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