Twitterとかドワンゴとかpixivとか。
— HANA (1)(黒/)(黒/) (@001amino) 2019年7月17日
慣れ親しんだUIを変えられるのって、普通なら苦痛しか生まないんだがな。帰ったら部屋の間取りも家具の位置も変わってるようなもんだし。
そう言う意味じゃ頑なに安っぽい時代遅れなトップページを変えずにいるYahooのありようも間違ってはいないと思うぞ pic.twitter.com/jRhQDAoLJS
使う側の環境の変化とか、システム側の整備環境の事情とかもあるから、仕方がないってのも否定はしないけど。単にカッコイイから、流行っているから、何か定期的に手を加えないと手を抜いていると思われるのはイヤだからとか、変化が無いと注力されないからとかいう、別にどっちでもいいじゃんぐらいの理由で、ウェブ系サービスで操作系などをがっつりと変えてしまうことがある。
大抵はよりよいものを求めてという主張なのだろうけど、自身でそういう類のを手掛けてくると特に、思惑というか内情が透けて見えてしまうのだよね。「これが儲かるから『便利だ』という大義名分を振り回して導入してしまおう」「ページビュー数が増えるから、利用側には不便に思えるだろうけど、刷新したとか適当に語って変えてしまえ」って感じ。
同じものばかりだと飽きられる。これは確かに間違いない。ただ、常に新しいものを求めるタイプのものならともかく、利用すること、できることが主な存在理由のウェブサービスの場合は、それが頻繁に行われると利用者は戸惑ってしまう。アクセルとブレーキの場所が新車の登場のたびに入れ替かわるとか、新総理登場のたびに国内基軸通貨の名称が変わるとかいうのは、とても困った話だよね。それとさほど変わらない。
まぁ、見るだけというタイプのものなら、さほど難儀はしないし、すぐに慣れてしまうのだろうけど。
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