パソコンや携帯電話などの情報通信機器については、「知らない人が一番偉くて、詳しそうな外見の人は無償で愛想よく教えないといけない、なんども同じことを根気よく教えられる側に不快感を持たせないようにして」的な風潮ほんとつらい。
— つゆぴ (@tsuyup) 2019年7月24日
もちろんこのような状況しかない、というわけでは無いのだけど、指摘されてみれば確かにこのような状況は多分にあるし、それが当たり前のような風潮があることは否めない。お前は知っているのだから俺様に無償で笑顔で分かりやすく丁寧に、理解できるまで何度でも、お前のリソースを無尽蔵に消費してでも教える義務がある。教えなければ、俺様が理解できなければお前は人で無しだ......ぐらいな風潮。オーバーかもしれないけど、否定できる人はどれだけいるだろうか。
例えば教示する契約を結んでいたり、包括的な提携をしていたり、何らかの理由でそのようにしなければならない義務を負っているのならば話は別。無論、そのような状態でも限度というものはあるけどね。そしてそのような状態になければ、神と下界の民との関係のような姿勢をする必要はまったく無い。
ケースバイケースではあるのだろうけど。この類の話の少なからずは、教えられる側が恥ずかしさを誤魔化すために上から目線の姿勢をしているのか、当たり前の事ならば自分が知っていないのはおかしいので、そのおかしい状況になっているのは社会全体が悪いのだから、理解が出来ているお前がサポートする必要がある、的な結論に至った上で対応をしているのかもしれない。
パソコン通信の狭い世界で「知ってることは教える、知らないことは聞く」の習慣がついた方が、各地の会社で今までの風習通りに行動した結果、「パソコンに詳しい人は聞けばなんでも丁寧に損得なしで教えてくれる」という空気を作ってしまったのかなぁと、過去の行動を振り返りながら思ったりします。
— つゆぴ (@tsuyup) 2019年7月24日
デジタル系に限ればこの可能性も否定できない。善意で積極的に教えていたら、それが当たり前のものだという認識が広まってしまった、と。親切心が仇になるという、悲しいお話には違いない。
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