「選択と集中」が際限なく出てくる理由

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学問や教育、研究部門では「選択と集中」は基本的に鬼門。無論、悪用して懐を肥やそうとしたリ悪事に転用しようとしている輩の首根っこはとっ捕まえる必要があるけれど、種まきをする時にどの種が芽を出すか否かまでチェックすることは、神でも無ければ不可能ではある。最初から腐っていたり中身が空なものはさておくとしても。

この類の「選択と集中」が際限なく出てくるのは、それを主張する人の多分が、経済的に成功したと認識できるポジションにある人からのものだということを鑑みるに、それを主張する人が「自分は賢くて正義だから、絶対に正しい選択ができる。だから集中させれば効率もいい、無駄を省ける」と断じているのだろう。つまり、自信過剰か妄想癖にとらわれている、と。

ピンとくる人もいるだろう。これ、株式投資で「絶対この銘柄は上がる」とドヤる素人さんと同じパターンなのだよね。

自分のおこづかいの中で行うのなら、いくらでも選択と集中をすればいい。その選択が間違っていたとしても、それは自己責任。他人の、ましてや公的な資金を使うのは勘弁願いたいもの。下手くそなギャンブラーの掛け金に国のお金を使うようなものだから。


下手なギャンブラーほど自分が買ったものが必ず当たりだと信じ込むようになる。ましてや他人の金なのだから、結果として失ってしまう、成果が出なくても知ったこっちゃない、と。

あるいはアレかな。タイムトラベルなラノベの主人公みたいな感覚にとらわれているのかな。自分は結末をあらかじめ知っているから、成功しそうな分野に全力投資すべきだ、という。そういうのはゲームの中だけにしておいてほしいものだけど。

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このページは、不破雷蔵が2019年7月26日 07:24に書いた記事です。

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