京アニ犠牲者の身元公表は必要か? 「近く公表へ」に疑問 https://t.co/eESwhwsGEn @otakumatchさんから
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月26日
先の京アニの事案でようやく被害者の身元がすべて特定でき、それを公表するか否かで色々と論議が生じている。報道サイドは公表するのが当然だ、されたら自分達が全力でアッピールするし関係各方面に取材しまくって「人となり」を披露してやるぜ、ヒャッハー的な状況にあるのが容易に想像できるけど。
実のところ実名も含めて身元の公表って必要は無いし、公表されずに困るのは報道メディアと悪質系まとめサイトぐらい。要は騒いで集客する界隈にとって美味しいネタとなるだけだよ、というお話。
報道界隈が執拗に「人となり」を伝えたがるのは、テンプレ様式でそれが一番楽だからなのだろう。情報の性質として、個人ベースでの情報伝達が困難で、少数の伝達能力を持つ存在が不特定多数に周知するという、一方向静的な状況の昔だったらそれでもよかった。けれど今は不特定多数が相互にやりとりをすることができ、さらに蓄積や検証精査が容易にできる、情報の性質が根本から変わってしまった時代。そのような時代に、プライバシーに相当する情報をお涙ちょうだい的な集客ネタとして使うのは、単なる下衆な行為であり、そこに社会的必然性・正当性は無い。
加え「私達記者は正義」という正当性も脳内で後押ししてしまっている。非難を浴びても悪質宗教の信者のように「あの人達は分かってないだけなんだ」と頑なになってしまう。もっとも報道界隈の理念そのものが、一種の新興宗教、しかも情報に関する概念が古いままの状態だったりするという意味では、報道は宗教化しているという考え方は間違っていないと思う。
2016/07 新たな報道名言「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります」が誕生しました https://t.co/JJV1QGysQn
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月26日
2014/10 御嶽山の災害、被害者の人となり報道は慎むべきという正論 https://t.co/1jKVgUt0M0
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月26日
2014/10 朝日新聞支局長大いに語る「犠牲者のひととなりを公知するのは親近感を持ってもらうため」「晒しではない」「報道は本質的に余計なお世話」 https://t.co/mzd5CIyTQa
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年7月26日
「人となり」については大きな事案がある度に繰り返し、その理不尽さについて伝えている。これらはほんの一部に過ぎない。
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