10年前「Twitterやってみない?」と誘われたとき「Twitterって何?」と聞いたら「世界中のひとがひとりでやってるラジオ局みたいなやつ」と言われて、楽しそうだなと思って始めたので、いまもTwitterはそういう場所だと思ってます。みんなそれぞれ好きなことをつぶやいてるのを聞くのが楽しくて。
— トナカイ (@tonakai) December 1, 2017
「真実」とかいうフレーズを使うとダイナミック胡散臭くなるのだけど、コピーとしてはこういう使い方をするのが正しいのだろうなあ、と脳内会議が続く中で。
元々ツイッターは小さいブログの連動体というかRSSで読みやすくしたような仕組みでしかないのだから、一方的発信のラジオ局のようなものっていう考え方は悪くない。フォロワー数は聴取者数。レスポンスとか引用リプライでのツッコミはリスナーからのお手紙。気が向いたらそのお手紙に返事をするよ、というもの。
法的なものとか社会倫理的なものに反していなければ、そして何よりもツイッターの規約に抵触していなければ、自分で好き勝手にやって構わない。まぁ、同時にラジオ局同様に、配信した情報が社会全体に公知されているってのを認識しておく必要はあるのだけどね。
ツイッターやってたら分かるが。「なぜ?」は、聞く側のコストが激安で、答える側のコストがとても高い。答えることに見合ったリターンを与えてくれそうにない相手が「なぜ?」と聞いてきたら、相手してはいけない。
— 電波猫 (@dempacat) August 19, 2019
もう一つ、コスト問題。これはツイッターに限った話では無いのだけと、ソーシャルメディアの普及でアプローチコストがけた違いに下がったことで、気軽に「なぜ」を当事者に直接投げることができるようになった。テレビ番組での疑問を直接テレビに問いかけるようなものだな。ただこれって、Siriのような自動回答プログラムじゃないんだから、人間がこれをやらされると非常に辛い。費用対効果の観点で全然割に合わない。
なので基本的には、自分に益があると判断できるもの以外には、相手をしないのが一番効率的。人は万能で無限の時間があるわけではないのだからね。
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