町山さんもそうだけど、その場その場で面白ければ少々事実と違っていてもOKみたいな、言っちゃえば80年代のライター的な芸がもう古いんですよね。 特定の支持層以外はもう求めてない芸なんだけど、あの人達ずっと造反有理みたいな姿勢を自分が権力握ってもやり続けてる訳だからどうしようも無い
— 内海 (@u23mjag) August 11, 2019
広義の意味ではブログなどもそうなんだけど、ソーシャルメディアというのは情報の発信、特に不特定多数に向けた公知の観点では、非常にやりやりい、ハードルを下げることに成功したツールに違いない。運と技術と元々の底上げなどで多分に左右されるけど、一個人の発信情報が世界中に広がり、世界を揺るがすものとすらなりうる。
他方、ソーシャルメディアで発信された情報は、鍵付きのアカウントからの物でない限り原則無条件公開。自分の日記ファイルにぼちぼちと書いて封印しているのとでは訳が違う。自室で窓を閉めて全裸待機をするのと、駅前広場の真ん中で全裸待機をするぐらいの違いがある。
ソーシャルメディアはいわば、駅前広場で色々とお披露目をするようなもの。日曜の歩行者天国で芸を披露する大道芸人的なポジション。しかもそれは記録され、後々まで検索されて再検証されうる。電車内で読んだら駅前のごみ箱に捨てておしまいな雑誌では無く、自室の書庫に納めて何度でも繰り返し読んだり、何かの検証の際に引用される書籍と同じ。
にもかかわらず、不特定多数に容易に拡散されるという部分だけを認識し、蓄積と再検証の部分を分れている、見て見ぬするをする人が少なからずいる。一過性の情報と、蓄積検索対象となる情報とでは、性質がまったく段違い。
これからのメディア芸は、それ単体で完結した「うまいこと」を言うだけでは商品にならなくて、過去の言動との一貫性を求められるんだから、その場その場で痙攣的に面白いことを言えばカネになった時代はもう終わったんだよ。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) August 11, 2019
4大既存メディアのほとんどが、その性質に基づいたものだったりする。書籍は雑誌とは別だからね。雑誌を書籍のように保存しておく人はあまりいない。
メディアの情報面での本質の変化を理解していないと、昔の感覚で新しいメディアを使いこなそうとして、大やけどを負ってしまうのだろうなあ、と。しかも自身がやけどをしたとは思っていないところが、さらなる残念感を演出していたりする。
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