50代ぐらいの教授が学生から「レポートのためにお話を伺いたいんです」って言われて、快諾していざ話してみたら「携帯電話のない時代の方はどうやって待ちあわせしていたんですか」とか聞かれて、早くも我々は文化人類学的研究対象になっている
— 紫苑 (@sinninomyouka) October 14, 2017
って言ってたのを思い出した
80年代の大学生は携帯電話どころか地上電話すらあまり持っていなかったので、電車で数駅離れた友人の家にアポなしで行ったら留守で帰ったとかザラにあったのだ。玄関が開いていたら近くに居るということなので上がりこんで待つこともあった。
— buruburu (@burubur56030897) August 26, 2019
80年代の大学生は携帯電話どころか地上電話すらあまり持っていなかったので、電車で数駅離れた友人の家にアポなしで行ったら留守で帰ったとかザラにあったのだ。玄関が開いていたら近くに居るということなので上がりこんで待つこともあった。
— buruburu (@burubur56030897) August 26, 2019
昔のテレビドラマとか小説、日常描写の漫画を読めばある程度は実情を把握できるのだけど、指摘されている通り、携帯電話は人のコミュニケーションを劇的に変化させている。口頭通話ができることで一段階、SMSやら電子メールやらソーシャルメディアのDMでデジタル的に連絡できることでもう一段階。
今やそれが当たり前になっている現代から、それが無かったころの時代を想像するのはちょっと難しい。実のところこの類の話は本来なら世代レベルで生じたものなんだけど、たとえば携帯電話まわりは10年とか20年単位で劇的な変化が生じてしまっているから、同一世代内でその変化を認識できるというちょっとおかしな現象が生じてしまっている。パソコンのことをよく知っている世代とかも似たようなものかな。意思疎通にも時間がかかるから、それだけ世の中がゆっくり動いていたってことになるのだろうな。
この辺りは早めに何らかの形で社会文化的な切り口でまとめておいた方がいい気がするのだけど。先日の情報通信白書みたいに。
中学生に「昔はコンビニが無かった」と言うと、「じゃ、夜の買い物はどちうしてたんですか?」と。
— 印度洋一郎 Yoichiro Indo (@ven12665) August 25, 2019
「夜は買い物をしません」
「え~それは大変だ。次の日まで買い物が出来ないんですね」
「そういうものだと思っていたから」
「......?」 https://t.co/EjweHMXN8r
コンビニも携帯電話同様に無かった時代の話が貴重になるよね。いや、あったとしても今のような多機能的なものじゃなかった時代もあったから、やはり段階的に社会とのかかわり、影響は変わってきたはず。買えなきゃ仕方がないってことで、携帯電話同様に、社会の時間の流れそのものがゆったりしていたってことになるのだろうな。
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