家から近いという理由だけで訪れ、同じメニューしか頼まない(単に考えるのが面倒だから)ご飯屋さんで
— 五十鈴おばあちゃん (@mako_grandma) August 27, 2019
「いつもありがとうございます。今日も〇〇でいいですか?」と言われると
ばつの悪さで急に足が遠のく悪い癖、今日も発動...
個体識別されないからこそ心地いい空間や時間って、ありません...?
当方は外食を使う事はあまりないけれど、宅急便などの受け取りで似たようなことをされる、たとえば最近多いですねとか、昨日と比べてちょっと今日のは大きいですよとか、どこそこからの荷物ですと具体的に言われるとかいう感じで、自分を単なる大勢の中の客の一人では無く、特定の固有な存在として認識されると、ちょっとどうなんだろうと不可解さというか不快感を覚えたりする。
統計などを取れられる時に、たくさんの中の一人としてあくまでも数字のカウントだけの存在なら別にかまわないけど、個人としての動きを特定されるとイヤンな感じになるのと同じ(個人情報保護の観点で考えるとよく分かるはず)。あるいは無記名掲示板でなぜか特定されてしまうとかいう状況。
無論、自分を常連として認識してほしい、個として認めてほしいという場面もあるけど、そういうところがすべてじゃない。自分は多人数の中の一人、あくまでも名無しさんとして存在したいんだ、個人として特定されてラベリングされるのは疲れてしまうのだな、という場面もある。
そう考えると先日の松屋での自動化と相対取引との話では、やはり松屋の選択は正解だったのだろうなあ、という気がする。大衆食堂ならともかく、松屋のような牛丼屋でなら、店員とのふれあい云々は求めていないし、下手に求められてもなんだかウザイだけだもんねえ。
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