昨日お昼寝しなかった息子2才が夕方限界を迎えて目をこすりながら「電気暗くしたい」「お風呂入りたい」「背中をかいてほしい」「ゴロンしたい」と申し出てきたので「そうだよね、眠くなっちゃったね」と言ったら「えぇっ!?こぇねみぃのォ!?!?」って人生2年目にして初めて「眠い」を理解してた
— かたゆまちゃん (@nodowoyaku) August 28, 2019
異文化の人達との間のコミュニケーションは、単に言葉のやり取りができたとしても難しいものがある。自分の常識が相手にとっても常識であるとは限らないからだ。単なる異世界ものとかタイムスリップものとかじゃなくても、生活環境が異なる場所で暮らしてきた人とか、常識の概念が別のところにある人との会話では、そういうギャップはよくある。世代間格差って話とも同じで、たとえばテレビのチャンネルを回すとか電話をかける際のダイヤルぐるぐるってのが、今の人には通じないものと同じ。
子供にしても同じなわけで、生まれた時に日常生活の常識をプリインストールされて生まれてきたわけでは無い。まっさらな状態から時間をかけて、色々と経験させたり学習させて、覚えていかねばならない。大人なら常識なものでも、子供にとってはすべてが未知のもの。
今回の「眠い」という話も、結局それまでどのような状況が「眠い」のかを知らなかった、教えてもらっていなかったまでのお話。体が睡眠を欲して色々な反応が出てくる状態のことを「眠い」と、今回知ったわけだ......って待てよ。このような状態だと下手すると、「寝る」という言葉の意味も知らないかもしれないな。
日常生活に欠かせない概念的なものは、日々の生活とか学習で知ることになる。今件のように保護者が機会を見つけて教え諭したり、絵本や漫画で知ったり、保育園で教えてもらったり、経験を経て知ったり。
いわゆるネグレクト的な状態になると、この類の社会的な規範も十分に習得できなくなるのだろうなとか、そのまま大人になったらどうなるんだろうとか思うと、少々身震いしたりする。
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