でもまあ、デスクワークの人が1日8時間労働というのは、そろそろ無理が来ているとも思う。昔は、顧客対応、清書、書類記入、調べ物、検算、発送などなど、業務の何割かは必ず雑務で、ひと息つける時期や時間があった。今どきは、そういう業務はあっという間に済み、脳みそは8時間ほぼフル回転。
— 葛葉 (@Cuznoha) September 23, 2019
それは難しい。ヒトの脳みそが最大限の効率を発揮できるのは、1日5、6時間が限界なんじゃないかしらん。1日6時間なら、自○率もこんなに高くならないんじゃないの。「日本は労働生産性が低い」って統計もあったよね。疲れ切った脳みそで毎日10時間働けば、そりゃ低くなりますわな。
— 葛葉 (@Cuznoha) September 23, 2019
それっぽい話は以前から何度か指摘していたけど、ズバリな言葉を当てはめられて納得感。要は多様な技術の進歩で人の労働の効率性・生産性は向上したけど、その遂行のために求められる集中力とか連続的な緊張性とかも同様に濃い・大きなものとなっている。かける時間は変わらないけど、人がそれに投じるリソースは確実に増えている。にもかかわらず、労働は時間というものさしだけで判断されてしまいがち。
自分で命を落としてしまう割合はともかく、圧縮された時間の中での労働により、総投入リソースは増えているのに、対価は変わらない。むしろ減っているかもってのは、理不尽ではある。むしろ成果に伴う形で分配も増やすべきだ。
無論、これまで手作業で済んでいたけど、機械を導入したので生産量は10倍になって、作業も材料を入れてボタンを押すだけになったというような事例もあるので、一概にはいえないけど。
問題なのは人の心理的な部分のリソースってのは明確に数字化できないから(ゲームみたいにステータス画面出したりMPとかST表示できてるわけじゃないからね)、時間や成果で測るしか無くて、成果は対価に直結し難いし、時間で測られると作業・注力濃度が無視されてしまうからね。わき目も振らず熱中した1時間と、休み休みでテレビを観ながらいい加減にやった1時間が同じ評価をされてしまうのでは、たまったものでは無いってことだ。
現状の労働濃度ならば、1日6時間が限界だろうってのは、ある意味正論な気がする。昔と同じ感覚で時間的な制約をしたら、そりゃ無理が出て来るってものだよな。徒歩で1時間と全速力で1時間、それが同じ評価をされたら困るってものだ。
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