「俺の時代ではスポーツの間に水なんか飲まなかった」
— もへもへ (@gerogeroR) August 31, 2019
「俺の時代では教室のクーラーなんかなかった」
もうお前の時代じゃないから黙ってろ。
1975年から2017年の間、クラブ活動中に熱中症で死亡したのは実に146人に上ります。
— Taka@救急医 (@mph_for_doctors) August 30, 2019
ハイ、10代でも壊れます。
なおこのうち37人が野球部で、2番目のラグビーの17人と比較しても圧倒的に野球が少年を殺しています。
廣岡さんが死ななかったのは単に運が良かっただけです。https://t.co/7B2uwEDhA7
また「水を摂りすぎるとバテてしまうのでかえってよくない」という論理は環境庁も公式に否定しています。
— Taka@救急医 (@mph_for_doctors) August 30, 2019
熱中症の直前の行動はダッシュなど体に負担のかかる運動であることが知られており、根性論で負荷の高いトレーニングをさせることはものすごく危険です。https://t.co/zLDFwSadnl
特に、35度以上の高温の日はたいてい湿度も高くて暑さ指数も非常に高い値を示すため、熱中症の搬送が非常に多くなることが知られています。https://t.co/bfWTqb1Uj5
— Taka@救急医 (@mph_for_doctors) August 30, 2019
部活動をさせるなら、必ず大人が責任を持って管理するようにしてください!!!
以前問題視された大学授業料とアルバイトの賃金の関係がいい例なのだけど、自分の成功体験を頑なに信じ込んで永久不滅の絶対テンプレ的に認識してしまうと、往々に老害な存在となってしまう。周辺環境が変化すれば、世の中の仕組みや効率的な選択肢は容易に変わるし、科学や技術の進歩によってできなかったことが可能となれば、よりよい選択肢も変化を見せる。当方もかつて入院中だった時に、入院のさなかに病症の対応方法の概念が大きく変わって首を傾げるということもあったぐらい。
今年はいくぶん過ごしやすかったと表現できるけど、夏の暑い時に「昔は教室にクーラーなど無かったから今においてもそれを求めるのは甘え」「昔はスポーツ中に水を飲まなかったから、今においてもそれを求めるのは甘え」的な話をしてくる方がいる。しかもたちの悪いことに、それなりの発言力や肩書、経歴を持つ人たちが。結局成功バイアス的なものにとらわれてしまっているのだろうな。
「俺の時代ではスポーツの間に水なんか飲まなかった」「だけど危険だからちゃんと水分補給しろよ」
— 雷牙 (@akf_03) August 31, 2019
「俺の時代では教室のクーラーなんかなかった」「だけど熱中症で危険だから全部付けろ」
って言える老人になりたい
むしろ他人に指示できる、権威を持って語ることができるような年になったら、このように現状を見極めてもっとも正しいと思えるようなことを、たとえそれが自分の時には常識ではなかったものだとしても、語れるようになりたいものではある。
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