「保険に入って病気しなかったら保険料を払った分だけ丸損」というのは、まあ、日本人にありがちな思考パターンだと思う。日本では「青天井リスクを定額コストに転換すれば個人のサバイバビリティが段違いに向上する」という重要性が理解されにくい
— ultraviolet (@raurublock) September 3, 2019
年金制度とか健康保険料やら米国の保険料やら医療費の問題から発したあれこれ。健保が高いし健康でいれば損をしたことになるから、こんなの理不尽だよね、的な話があって、保険の概念とか仕組みを学んでいれば口にすることは無いだろうなあという言葉がもろもろ出てくるのであきれ返ってはいたけど。
指摘されている通り、保険の類は元々リスクを対象者全体に分散して、全体としてのダメージを小さくするのと共に、リスク体現の状態となってもある程度は安心できるという安心感を得るために作られた仕組みなんだよね。
結果論として保険料を支払って適用される条件が発動しなければ、保険料はムダ金となる、ように思える。毎月数千円支払って手に入ったのは定期的に送られてくるお知らせのお手紙のみとか。単なる金銭勘定ならばそれも正解。
けど保険料を支払い保険をかけていた間は、適用条件発動という事態が生じても医療費をサポートしてもらえる、少なくともお金の面で心配はいらないという安心感を常に得ることができるようになる。この安心感ってのは数字化し難いので、損得勘定の上では考慮されにくい。
あるいは期待値計算でもいい。けがをしたり病気で入院するような事態に陥る可能性は決して高くはないけど、そうなった時にかかる費用はどれほどになるか。可能性とコストを勘案して、どれぐらいまでが許容されるかってのを考えれば、公的なものも含めて保険に入るってのが、あながち無駄なものとは言い切れないってのは分かるはずだ。
保険じゃなくて防犯の点で考えればもっと分かり易いかな。鍵をかけるとか、夜道を一人で歩かないとか、一人暮らしをしていないような偽装をするとか、容易に鍵を開けないとか。
「保険に入って病気しなかったら保険料を払った分だけ丸損」ってのは実のところ、そのような言及が出来ている時点で丸儲けではあるのだけどね。
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