汚染水をそのまま流す訳ではありません。諸外国と同じレベルの処理水にして諸外国と同じように処理するだけです。
— 林 智裕 (@NonbeeKerocci) September 15, 2019
これは一般の方の間でもだんだん常識になり始めていますので、著名な方がこういう誤解をしたままだと恥をかくかも知れません。
あまり難しいことではないので、学ばれてみてくださいね https://t.co/J9YpIj80YH
この当時に間違ったことを言っているのが良い事...ではないにしろ、百歩譲って「知らなかったのだから仕方ない事」であったとしても、間違いを指摘されても今なお同じ事を言い続けているのは知性というものが存在するのか怪しいレベルですね。
— うつろ星人@エターナルホライズン (@utsuroseijin) September 16, 2019
最近の記者を自称している人たちのTweet。本当に無知で言ってるのか確信犯で言ってるのか判断できないとこがありますね(どっちみち害悪なのですが)。
— 3pF (@3pF) September 15, 2019
トリチウム関連でもう一つ。震災以降特に目立ち動きをするようになっている実感はあるのだけど、新聞を発行している法人格に所属する新聞記者における、ソーシャルメディア上でのお行儀が押しなべて悪い。悪目立ちをしているとの表現がぴったりくるのか。全部が全部というわけではないけど、目立つものがより容易に目立ちやすくなるソーシャルメディアの特質が、悪い意味で発揮されている感じがする。可視化、との表現の方が近いのかもしれない。
さて、指摘されていることでもあるのだけど、無知での語りなのか、間違いだと分かった上で間違い話の方が自分に益があるから語っているのか、どちらなのだろうか。ケースバイケースではあるのだろうけど、いずれにしても始末に負えない。記事タイトルにある通り、「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」ではあるし、あるいは「単なる狂人」なのだろうか。どちらにしてもアウトなのか、いとおかし。
「なぜ意識高い系記者の科学的知識はでたらめで、リスクコミュニケーションをぶち壊し続けるのか?」それはおそらく、
— 鐘の音@夏バテ中 (@kanenooto7248) September 16, 2019
①そもそも科学的素養を持っていない
②イデオロギー的に利用してる
③恐怖をあおる記事が求められてる
というダメな問題がありそう。
データも、事実も、もう詰みあがってきて、「原発事故における放射能リスクは、気にする必要がないレベルになっている」ということは間違いないのだが、事実を事実として伝えるよりも「センセーショナルに騒ぐこと」が目的のレベルの報道だけが飛び交うのなら報道の存在自体が有害になりつつある。
— 鐘の音@夏バテ中 (@kanenooto7248) September 16, 2019
結局は世の中の社会問題を複雑化していたり、解決から遠のけたり、リソースの浪費をさせたり、大事にさせてしまうことに、報道が多分に加担してしまっているのが実情。「報道の存在自体が有害になりつつある」という言葉の、実に重たいことか。
記者が活動家化して、新聞が機関紙化している。すべてではないけどね。そういう表現が間違いではないというのが実情。
コメントする