最近もう雑誌名...と言うかWeb媒体名とタイトル見るだけで誰が書いたどんな内容かだいたい分るようになったので時間を浪費せずに済んでる
— 林司@るーしゃんず (@Archangel_HT) September 16, 2019
記事タイトルが下品だともう読む気が無くなるよねぇ
— JSF (@rockfish31) September 16, 2019
コンテンツ制作の現場では、あふれ出るほどの過多市場の中でとにかく目に留めてもらい注目されるためには、何をやっても正義であるとの認識が強い。物理媒体と比べるとケタ違いの情報にあふれ、リーチもリムーブも容易なウェブ上では、さらにその正義が堅甲なものとなる。大手のコンテンツ運営会社のガイダンスでも、とにかく目立て、注目されろ、インパクトのあるフレーズを、というインチキ勧誘ビジネスもびっくりな方法論をドヤ顔で語ってくる。
実際、ぱっと見がすべてと言っても過言ではないチラ見コンテンツでは、それが有益だとの短期的な調査結果もいくつか出ているし、実感できる体験をしている人も多い。ぱらぱらとページをめくっていて目に留まるコピーがあれば、それがどれほど下品であろうとも、事実とは異なっていても、扇動的でも、書き手側の勝利となる。検索エンジンですら、そういうのを優先する傾向も否定できない(何しろたくさんの人が目に留めてクリックするのだから、重要なのだなと誤認してしまうのだろう)。
でもそれってイエロージャーナリズムとかドーピングとどれほどの違いがあるのか。
それこそ羊頭狗肉的なものにならないだろうかという不安もあるし、そういう方法論で集客されている実情を見るに、真面目にやっている方が馬鹿を見ているような気分になってしまうのも否定できない。コンビニの雑誌棚に並んでいる、成人男性向けのゴシップ紙と同じ方法論が肯定される世の中ってのは、あまりよいものでは無いとは思うのだけど。
俗にいう悪質なまとめサイトとさほど変わり無いことを、商業誌、法人系の媒体が手掛けたら、それこそオシマイではないかなと。
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