よくカネがなくても工夫でなんとかなるという考えの人がいるけど、「工夫できる能力」というのは多分に文化資本が元になっている場合が多くて、今の自分は貧乏でも実家がかつて豊かだったりとかいう人が多いのではないか。ガチの低階層出身の人はその能力も乏しかったりする。
— 昭和のフクロウ(変人) (@sunafukin99) September 23, 2019
典型は『料理(自炊)』ですね(-_-) 生きる為には誰しもメシを食う必要があるわけだけど、『食事や調理』は文化ですし(調理の為の技法や工夫は『習得技術』・作法はマナー)、それは親から子へ躾けられたりして教わるものですし。
— guldeen/父は要介護5/求職中 (@guldeen) September 23, 2019
特定する事案は挙げないけれど、お金という分かり易いリソースが不足している場合、工夫とか努力で何とかなるという無茶ぶりをする発想というか考え方がある。「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」って、これは太平洋戦争中の戦時標語そのものだな。
けれど工夫、つまり技術とか経験によるノウハウとか知識から絞り出せるものってのは、指摘の通り、これまでの蓄積を引っ張り出してきただけの話だったりする。いわば貯金。勉強していないとテストで解答できないよ、という類のもの。その前提すら備えていない人は、普通の蓄積がある人には想像もできないような姿勢を示したりする。「常識知らず」とでも表現できるのだろうか、その人は常識を習得する機会が無かったまでの話。
指摘されている通り、自炊における料理は非常に良い例ではある。結婚した男性が妻の入院で食事が出してもらえずに干からびてしまう的な話は笑い話にすらならないマジ話としてよく見聞きする。食事のつくり方、食べ方、片付け方は知っている人には当たり前のことではあるけど、習慣になるように学習させられた・した結果に過ぎないのだよね。英語は習わなければ覚えないよ、というのと同じではある。
だからこそ、工夫とか努力があればお金が無くても何とかなるってのは、まず工夫や努力ができるような前提を対象の人が持っておく必要がある。そういう環境整備をしているのかな、「お金が無くても工夫で何とかなる」と強弁している人は。
さらにいえば。工夫も努力も結局はリソースを消費するものだから、リソースをタダで提供しろと言われているのと同じになるのだけどね。
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