巻き込み食らってる(半ば楽しんでいる)トリチウム問題。反発している反な人は「時系列的思考ができない」「推定・想像と事実をごちゃまぜにしている」「都合の良い解釈をしている記事を勝手に最も信ぴょう性の高いものとして認識している」という役満状態でしたとさ。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) September 23, 2019
こちらもあえて該当するツイート群は引用しないけど、当方を巻き込む形でトリチウムにかかわる論議が交わされていたのでそれを一歩引いて見ていたのだけど、どうも反発をしている反社的な人の主張の筋道が通らないのでじっくりと読みなおしてみると、タイトルにある通り「時系列的思考ができない」「推定・想像と事実をごちゃまぜにしている」「都合の良い解釈をしている記事を勝手に最も信ぴょう性の高いものとして認識している」という役満状態の結果が主張に反映されていることが判明した次第。
時間はさかのぼる事が出来ないから、物事は時系列的にしか進まない。時間を行き来できるのは物語の世界だけ。それを前提としてしまったり、事実と推論や想像をごちゃまぜにしてすべてが事実であるかのような話をされたのでは、論理的な筋が通るはずはない。
似たようなものではあるけど、ある事案に対するさまざまな解釈の中で、自分にとってもっとも都合の良いものを一番信憑性のあるものとして掲げてもらっても困るだけの話。自分が信じたいものか否かと、その対象の信憑性の度合いは別次元の話だったりする。明日の遠足は晴れになるといいなと思っていても、天気予報も天気図の動向も、そして目の前にしている天候の様子を見ても雨ふりに間違いがなければ、中止になりそうと考えるのが普通の思考パターン。遠足に行きたいからと自分の思い込み「明日は晴れる」をもっとも信憑性の高い予想とされたら困るよ、というまでの話。
時系列的に物事を考えること、自分が信じたい事とその事の信憑性は別次元の問題だということは、シンプルではあるけど非常に大切なもの。これができないと論理的な物事の考え方はできないし、ネットなどで情報の可視化が行われると容易に破綻しているということが暴露されてしまう。
けれど特に「時系列的思考ができない」ってのは詭弁的な話でよく使われてしまうんだよね。勢いで語ってくると、整理する前に押し切られてしまいかねないから。この辺はどうにかならないのかな、と思ったりもする。
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