専門家による庶民感覚や感情論の怖さ

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肩書とか権威とかに人は得てして平伏してしまう。その人の経験や能力を裏付けするもの、とされているからだ。ただそれが、そのままその人の現状における確からしさを120%保証するものではない。あくまでもある程度の底上げをするまでの話。さらに底上げされる分野はその人の特定分野に限定されてしまう。

ところが専門家や権威としてある程度認識されると、オールマイティな形での神扱いされ、いかなる行動・発言も正しいもの、確かなものとして認識されてしまうし、当人もそれを悪用する場合もあったりする。

恐らくこれって、テレビのワイドショーなんかで、知名度がある人たちが適当な形で庶民感覚の代表者として語って、それが正しいものとして認識されてしまうってのが多分に影響しているのではないかな、という気がする。芸能界で知られている人が事件のことをコメントしても、正しい内容である保証はどこにもない。思っただけ、考えただけ、想像したまでの話でしかないのに、何らかの権威なり知名度があると、それが正しい内容だとして受け止められてしまう。ある意味、権威教信者、というところ。

別に戯言を語るだけなら、表現の自由があるのだから、どう語ったってかまわない。ただその語りがどのような場所で行われ、いかなる認識を他人に与えるのかは、よく考える必要があるのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2019年10月 6日 07:32に書いた記事です。

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