怪我や病気で医者にかかったとき「どこそこの血管が切れてて骨がこう折れてます」と説明されるじゃないですか。別に体の中で何が起きてるか知ったところで痛みが和らぐわけじゃないんだけど,知的好奇心で意識が上書きされるので気がまぎれる。「目の前の事象は説明可能なものだ」という安心感もある
— スドー(@stdaux) October 9, 2019
火葬場の人が「これはどこそこの骨です」と説明してくれるのも,別に知ったところで何か深い意義があるわけではないんだけれど,目の前の事象を言語化して説明可能なものにしてくれるというはたらきがある。人が死んだというショックから意識を上書きしてくれる
— スドー(@stdaux) October 9, 2019
「何が何だかわからない痛み」に
— ものの腐☆ごりえ (@gorie666) October 9, 2019
病名がついて
とてもありふれた症状だって事を知ると
途端にほっとして痛みがやわらいだりするよね
真名を知れば化け物を無力化できる道理!!!!
これって以前記事にしたけど、昔の人は科学現象を理解できなかったので妖怪のせいにして、その妖怪に具体的な名前をつけることで納得していた、安心していたってのと同じ。
理解はできなくても名前をつけることで対象を特定化し、脳内での区分が可能となる。見えるものは大丈夫という認識が生まれる。概念化によって検証が可能になる、検証可能なものなら少なくとも理解はできうる、よく分からない不安なものではないという、人の知恵でもある。
病気とかに限れば、自分では理解できなくても色々と具体的説明をしてもらうことで、少なくとも語っているお医者さん側は実情を把握して対応ができているのだな、という安心感を得られるってのもあるのだけどね。お医者さんが「なんかよく分からないけど、治ってしまいました」とか言ったら、やっぱり怖いでしょ?
ただ、この辺りの仕組みって、悪用されるとヤバいんだよね。デタラメでも概念化する事で安心させ、ウソの方向に人を誘導させてしまうことができる。「分かり易いけど正しいとは限らない」ってのが好例なんだよね。
コメントする