「通信社は他社への配信を前提とする記事を書いてきたので、中身を端折っても仕方がない」なる解説を読んで。それで主旨が違えたら、何の意味も無いのです。「分かりやすい」ものであっても「正しい」もので無くては不適切でしかありません。通信社としては失格ですし、それを肯定するのもいけません。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) October 15, 2019
先日某所で検証を常とする有識者による、こんな解説「通信社は他社への配信を前提とする記事を書いてきたので、中身を端折っても仕方がない」的なものを見て、色々ともやもやしたので覚え書きとして。
インターネット上への配信を前提とする記事の場合には、このような言い訳は通用しない。第一、端折ることで事案全体の主旨を大きく違える、逆に解釈できるような話となったら、虚実を伝えることになる。分かり易いものであっても、正しくなければ、それは伝える価値は無い。単なる虚報な過ぎなくなる。そのような所業を肯定するのなら、通信社として、報道として失格でしかないし、そういうものだからと有識者が認めてもいけない。否定しなければ。
この「分かりやすい」ものであっても「正しい」わけでは無いという実情の報道が日常茶飯事的に行われ、それで世論が形成され、事実がよじ曲げられている現状は、大変よろしくない。そして半ば報道サイドはそれを自らの特権として、特定の、自分達の都合の良いように悪用・濫用しているようにも見える。脅しの武器として使っているようにも、ね。いうこと聞かないとデマ流すぞ、的な。
単なるヤクザとどれほどの違いがあるのか。
コメントする