画像フォルダ眺めてると店がなくなってもう食えない食べ物に出会えてつらい pic.twitter.com/cyOYgapumq
— くろがねぎん@夏コミお疲れサマー (@kuro_gin3) October 21, 2019
飯テロという言葉が創生できるほど、人はなぜか自分の料理を写真に撮ってしまう。食事制限をしている人の栄養管理という観点ではなく、見栄えのよさとか、インスタ映えとか、なんだかうれしい象徴としてとか。自分がよいと思ったもの、ステキなもの、満足させてくれるもの、とにかくプラスの思いを体現化されるものが目の前にあるのだから、これを記念に残しておかずにいられようか、という感じ。
そういう写真はまさに記念写真になるわけで、結果としてその料理が自分の記憶や出してくれたところの思い出と連動するものとなる。作ってくれた人が世を去ったり、お店が無くなっても、写真は相変わらず自分の手元に残る。写真を見るたびに料理の味わい、そしてお店そのものの記憶が蘇る。画像はある意味、酷な存在には違いない。
あとで精査ができるよう、画像を収めたフォルダにはちゃんと説明を付け加えておいた方がいいのだろうな。あるいは食文化の変遷なども検証できるようになるかもしれない。
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