10年以上前に町田康がやっていた人生相談コラムで、「世の中エロが溢れすぎている」と憤る相談者に「それはエロを意識してるからそう見えるのであって、例えば犬や茶碗を意識して暮らせば"世の中なんと犬や茶碗が溢れていることだ"と思うようになる」と回答していたのを思い出した
— つかんぽ (@tsukampo) October 21, 2019
「差別だ」と声高に喧伝する方が、実は差別至上主義者だったというオチになるのは結構ありがちなパターン。ないもの、少数的なものを抽出してわざわざ圧倒的多数に見せるという、「早まった一般化」「過度の一般化」のよい例だものねえ。
残念ながらこの人生相談コラムの一次ソースを突き止めることはできなかったけど、言っていることはよく分かる。人が目などの五感を通じて得られる情報は、そのすべてを認識しているわけでは無く、脳内で勝手に取捨選択して必要なものだけが「あるものだ」という認識をされていく。視界に入っても見たものとして認識していないってのは良くある話。わざわざすべてを確認していたら、あっという間にパニックに陥ってしまう。
一方で、一度自分が気にしてしまうと、その情報に対する注力が生じてしまうので、どうしても目に留まりやすくなる。床のゴミが目に留まると、次々ゴミがあちこちに落ちているのに気が付くとか、その類の経験は誰もがしているはず。
世の中にエロなものがあふれているというのも結局のところ、その人がそういうものを目ざとく見つけようとしているのが多分にある。数量的な統計で確認したのなら話は別だけどね。
似たような話としては、「青少年の犯罪は増加している」というのもあるかな。それも結局は、目立つ形で情報が繰り返し伝えられているからに他ならない。難しいところではあるけど、印象だけで物事を判断すると大変だよ、というわけだ。
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