「小説を読むと馬鹿になる」
— 鐘の音@来年のフェスまでがんばる。 (@kanenooto7248) October 24, 2019
「漫画を読むと不良になる」
「テレビを見ると障害者になる」
「アニメを見ると性犯罪者になる」
「ゲームをやると脳が萎縮する」
「ネットをやると発狂する」
「萌え絵は性差別するようになる」
昔からこういう人はたくさんいて、要するに時代遅れになったってことです。
「●×をすると」と「◇▲になる」とのつながりはアトランダムで変えてもいいかなあ、という気がする。萌え絵を見ると不良になる、とか、テレビを見ると発狂する、とかね。
結局のところこれらの指摘...というか拒否反応ってのは、自分自身がその内容に同意できない、過去の固定概念にとらわれてしまっているので、理解の範ちゅう外にあるとの認識をしてしまい、異物を排除する本能が働いているまでの話だと思う。昔の人とか文化が浸透していない地域の人にカメラの使い方や出来上がった写真を見せると、魂を吸い取られると大騒ぎするような、アレと同じ。
さらに今件で困った方向性ってのは、自分が対応できないからという実情を、利用者が何らかの不具合を生じてしまう、だから自分はそのような状況を回避させるために救いの手を差し伸べているのだという形で正当化してしまっていること。「萌え絵は理解できないので見るな」ではなく「萌え絵は性差別をするようになるから肯定するな」というのは責任の転嫁に他ならない。
自分が理解できないのなら「すまん、自分はその良さが分からない」と表明するなり、分からないから黙っている、遠ざかる。それでいいのに。自分が理解できないものを汚物扱いしてヒャッハーしながら消毒しようとしてどうするっての。
しかも、その時代の大学教授とか、知識人とかそういう人たちが、ゴロゴロ偏見を垂れ流すことまで一緒。
— 鐘の音@来年のフェスまでがんばる。 (@kanenooto7248) October 24, 2019
すべてがすべてではないけど、指摘されている通り、肩書を持つ一端の人達がこの動きに賛同する、下手をすると先導するケースが多々あるってのも問題だったりする。なんというか、悲しい話には違いない。
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