「この新しい技術は血液1滴で多くの種類のがんを発見できる」とか、逆に「がん検診は害ばかり。受けない方がいい」とか、単純でわかりやすい主張は広がりやすいけど、「害もある一方で利益もある。利益と害を比較して云々...」という記事はあまり受けないんだよね。
— 名取宏(なとろむ) (@NATROM) October 27, 2019
単純で分かり易い主張は、不正確や間違っていても一般市民に拡がり刷り込まれる。私の身近では「iPS細胞の再生医療がどんな難病も治せる(全員を長寿にする)」とか「ES細胞は倫理問題で使えない、iPS細胞は倫理問題無し」の単純化。本来の科学者や専門家の責務は、そんな誤解誘導に反論すべきだった。 https://t.co/3FUFIAHuGF
— Norio Nakatsuji (@norionakatsuji) October 27, 2019
「分かりやすいが正しいとは限らない」ってのは当方が何度となく繰り返して言及している話。「分かりやすい」ってのは自分で理解しやすい、あれこれ検討して自分にとって納得のいくものか、損得の判断ができるかがしやすいってことなんだけど、それが確かなものかどうかってのはまた別の話。外を歩いても斜めになって宇宙に落ちたりしないし、遠くを見てもまっすぐだから、地球は平らなんだっていうのは分かりやすい説明だけど、それが正しいかどうかとは別の話で、実のところは間違っているって例を挙げればいいのかな。
これって結局、難しいものを考えるのは面倒だという人間の本質とか、英雄志願や勧善懲悪的な図式を望んでいるところと筋を同じにするような気がする。ヒーローが世の中の悪をバッタバッタと倒していくとか、王様は悪者で市民の寄り合いの中心にいる人物が善人だから悪を倒すべきという革命志向とか。
確かにシンプルな方が、正しいものであれば簡単で済むし疲れなくてもいいので、それに越したことは無い。けれど世の中は実際にはそれほど単純なものではない。
報道が得てして間違った情報を流すのは、この部分にも起因するような気がする。簡単で分かり易い方が客の受けはいいし目に留まってもらえるから、そこに正しさなどは求められていない。物語を読ませるような感覚で報じてしまっているわけだ。それって根本的に間違っているだろう、という感じがするのだけど。簡単にする過程で物事の本筋、事実をよじ曲げられては困るのだよね。正しく伝えるのには技量が必要だけど、その技量が欠けているのが報道界隈の問題なのだろう。
そして今件はスマホ時代においては、ますます問題が深刻化しそうな気がする。情報のつまみ食い化がスマホで推し進められるから、分かりやすさがさらに優先され、正しさは後回しにされる。報道記事のタイトルのゆがみが良い例だよね。
このへんの話、何とかならないかなあ、とは常日頃から思っているのだけど。
コメントする