確かにRTの方が拡散力はありますが、それは受け手に宣伝を強要するのと同じ。RTはした本人によるツイートとほぼ同義となるので、躊躇する人・ケースも多い。「いいね」ならランダムで時折RTのようにタイムラインにも上がるので、弱いながらもRTに近い効用がある。それで勘弁、という気も。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) October 24, 2019
自分は好き、応援したい。けれど他人に広めるのはまた別の問題、というタイプのものもあるのです。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) October 24, 2019
定期的に、特に漫画家先生界隈から発せられるのが「自分の宣伝ツイートをRTしてほしい。いいねじゃダメだ」というお話。RTで無いと拡散されずに宣伝効果が限定的になってしまう、水の流れをせき止めるようなものだから、それは好ましくない、是非ともむしろ勢いをつけてさらに水を流すようにRTをしてほしい、的な。広報宣伝のロジックとしてはまったくもって正解で、間違っている話ではない。
一方、RTを求められている側としては色々と複雑な気分のはんぺんになる。この場合のRTは宣伝行為であるわけで、自分がフォロワーに披露してお勧めしたいということを意味する。しかもRTは自分本人によるツイートとほぼ同義。自分はとっても好きな対象ではあるけど、それを他人に知らしめたいと思うのは、また別の問題なのだよね。だったら「あ、何だか知らないけど(棒)勝手にフォロワーのタイムラインに表示されちゃった」的な感覚で、時々RTのような効用を発揮する、しかも自分が意図して流したわけでは無い「いいね」で勘弁してほしい感は強い。
自分は好きで応援したいし、他人に広めたいものもある。一方で、自分は好きで応援したいけど、他人に広めるのは躊躇してしまうものもあるのは当然の話なんだよね。そういう事情があるにもかかわらず、もりもり「RTして」と強要されるのは、少々頭を抱えてしまうものがあったりするのだな。
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