何故この手の方法が上手く行かないかというと、先の世代の「地図」がそもそも無いからなのです。先の世代の技術に至るルートは無数にあって、どれが正解かわからない。
— ろくせいらせん (@dddrill) October 31, 2019
将来コア技術になりそうなものに絞っても結局博打になる。
なので、「待ち受け」るなら結局研究費のバラ撒きをやるしかないんです。
— ろくせいらせん (@dddrill) October 31, 2019
リソースを分配したくないから、節約して別のところに回したいからという理由をオープンにはできないので、大義名分としてぶん回されている「集中と選択」。私企業が経営者の意思の下に行うとか、戦争の際の戦略思考の観点では有益かもしれないけど、開発とか技術とか育成の段階では、大抵うまくいかない。なぜかといえば、それが当たりかどうかなど、現時点では誰にも分からないから。「シヴィライゼーション」で技術投資の方向性を偏らせるにしても、それは開発のルートがあらかじめゲームの設定として分かっているからに他ならない。プレイヤーの知識として、先の話がつかめない、見方を変えれば技術の開発先がランダム化されたり、未知の技術が毎回登場するなんてことになれば、好き嫌いで配分を変化させることはあっても、一極集中とかいう話は難しい。
どれが当たりか、少なくとも投資損にならないかなんてのが分からない以上、「集中と選択」なんてのは愚の骨頂。株式投資の場合はある程度は傾向が分かるので、逆にある程度の「集中と選択」もできるようになるというか、不可欠ではあるのだけどね。
本当その通りで、決め打ちで芽が出るものを予見できるなら、そもそもバラマキいらない訳ですよ。
— メタトレンチ (@aizw8885) October 31, 2019
人間はそんなに賢くないので、幅広く種まかないと大発見なんてゲット出来ないです。
他方、科学理系方面に関する「集中と選択」として、今の手法は「一部のどぶにばかり種を蒔いている」状態。もっと辛辣に例を挙げると「自分のお気に入りの人がいる店に会社の注文を全部投げている」感じ。
「ばらまくぐらいなら当たりそうなものに特化して、残りのリソースは俺様に寄越せ」という、高齢者の社会福祉傾注な種もみ寄越せ族的な考えに加え、自分のお気に入りの領域の厚遇のために公的リソースを悪用している事例が多々見られるのが、なんともという感じではある。しかもその「当たりそうなもの」の判断基準ですらいい加減すぎる。
種は幅広く、色々な場面に蒔かねばならない。どれが、どのような条件下の下でのものが芽を出して実がなるかは分からないから(それが分かるのなら競馬で始めから当たり馬券が分かっているようなモノ)。
公的リソースの悪用が目に留まるので、この辺の話もうまく伝わらないのだろうけどねえ。
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