ゼロ見積りは自分の恥をさらすもの

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値段が書いてある商品をそのまま購入するのならまだ百歩譲るとして、何かをしてもらったり受け取った際に、その対価や価値を勘案する必要がある場合、ゼロとして見積もるのは止めた方がよい。なぜならお金というのは物品やサービス、その他もろもろの行為をリソースとして概算した時の物差しであって、それをゼロとしたということは、その行為への価値は無いと判断したことになるからだ。

行為をした側にしてみれば、自分の差し出したあれこれのリソースを正当に見積もってくれなかったという評価を下さざるを得ないだろう。「この人には何をしても評価をしてくれない、何かをする意義は無い人なんだ」と判断されてしまう。

「自分が得だから」という言い訳をするかもしれない。しかしその言い訳も止めておいた方がよい。自分の利益を優先するためには、相手の評価など知ったことではないという判断を下す人だと認識されるまでの話だから。

無論このへんの話は一度指摘されないと分からないかもしれない。それを経験から学びうる機会があるのは学生の時で、その時ならまだ知らなかったで一度、二度ぐらいは済む。社会人ならアウト。学生の時に何をやっていたんだ、ということになる。

ただ最近のボランティア関連のあれこれを見聞きするに、大の大人がドヤ顔でこれを肯定するどころか、社会正義的なものとしてごり押しするケースが少なからず見受けられるのだよね。これはこれで怖い話には違いない。

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このページは、不破雷蔵が2019年11月 6日 07:05に書いた記事です。

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