「他人がしてくれた仕事やサービスへの対価や価値をゼロに見積もる」のは、社会人なら絶対にダメで、学生であってもそういう考え方は早々に捨てたほうがいいです。それは自分が世間知らずのボンボンであることを世の中に示しているようなもので、とても恥ずかしい行為なんだと思ったほうがいいですね。
— 小林信行 Nobuyuki Kobayashi (@nyaa_toraneko) November 5, 2019
もしこのことがよくわからないのならば、他人がしてくれたその仕事やサービスを自分がやったとした場合に必要となる時間に、最低時給として約1000円を掛けてみれば、最低の目安金額が出ると思います。もし相手がプロだったら、安くてもその数十倍だと考えてみるといいでしょう。
— 小林信行 Nobuyuki Kobayashi (@nyaa_toraneko) November 5, 2019
値段が書いてある商品をそのまま購入するのならまだ百歩譲るとして、何かをしてもらったり受け取った際に、その対価や価値を勘案する必要がある場合、ゼロとして見積もるのは止めた方がよい。なぜならお金というのは物品やサービス、その他もろもろの行為をリソースとして概算した時の物差しであって、それをゼロとしたということは、その行為への価値は無いと判断したことになるからだ。
行為をした側にしてみれば、自分の差し出したあれこれのリソースを正当に見積もってくれなかったという評価を下さざるを得ないだろう。「この人には何をしても評価をしてくれない、何かをする意義は無い人なんだ」と判断されてしまう。
「自分が得だから」という言い訳をするかもしれない。しかしその言い訳も止めておいた方がよい。自分の利益を優先するためには、相手の評価など知ったことではないという判断を下す人だと認識されるまでの話だから。
無論このへんの話は一度指摘されないと分からないかもしれない。それを経験から学びうる機会があるのは学生の時で、その時ならまだ知らなかったで一度、二度ぐらいは済む。社会人ならアウト。学生の時に何をやっていたんだ、ということになる。
ただ最近のボランティア関連のあれこれを見聞きするに、大の大人がドヤ顔でこれを肯定するどころか、社会正義的なものとしてごり押しするケースが少なからず見受けられるのだよね。これはこれで怖い話には違いない。
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