池波正太郎のエッセイ読んでたら、
— 井上篤史 (@bezieer) November 25, 2019
「タバコの吸い殻を道路に捨てて振り返ると、見知らぬ女性が踏み消しててくれて安堵した」
みたいな文章があって、現代に発表したらただただ炎上するだけですよね...。
たばこの喫煙率は減少する一方で、健康志向は高まり続けているし、たばこの販売本数も減るばかり。大人がたばこを吸うビジュアルはかっこよく見えるってのもまさに今は昔状態となり、そもそも社会生活の中でたばこがごく普通に描写されるってこともあまり無くなった。日常的なものとしての存在ではなくなりつつあり、それを描写しても普通の情景と認識されなくなってきているから。
もっとも今件の引用に限れば、男女間のあれこれも絡んでくるのだろうけど。
昔は映画などで「主人公がかっこよくタバコをぽい捨てする姿がウケる」時代があった、というのは、もしかしたら若い人には引かれる話なのかもと思いました。時代によって倫理もマナーも美意識も変わる一例かと(そういうのがいいと思ってるという意味じゃないです、念のため)。
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) November 25, 2019
昔の人がどこでも好き勝手にタバコを吸って道ばたに吸殻を捨ててたけど「今はいないよそんな人」になっているように、こういう問題もいつか「過去の遺物」になって欲しい(難しいし根絶はありえないけど)>RT
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) November 25, 2019
時代によって倫理もマナーも美意識も変わる。これは間違いない。今のご時世で丁髷袴帯刀で歩いていたら、変な目で見られるどころか職務質問を受けるのがオチ(銃刀法違反云々は別として)。結局、日常生活を示すための「当たり前」の描写が、時代によって分かってしまうというまでのお話でしかない。
他方問題...というか気をつけねばならないのは、情報の性質の変化によって、この社会文化・日常生活の変化が加速度的なスピードをつけて変わっているってこと。下手をすると10年単位で常識、日常ってのが分かってきており、古臭いものどころか忌み嫌われるようなものになってしまっている可能性がある。以前紹介した、女性の婚期に関する「クリスマスケーキ」という表現が良い例かな。個人的には元々その表現は好きではなかったのだけどね。
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