やりがいよりお金がい

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例のオリンピックの動員的ボランティアの件が顕著ではあるけど、いわゆる綺麗ごとという形にないものをお金の代替品としていくらでも創生して、それでリソースを値切っているというか誤魔化している例が多々見受けられる。そういうことをしているから、どんどんひずみが出てきてしまう。

指摘されている通り、個人事業主による仕事の場合は、自身が経営者だからこそ、自分でその見えないものを手に入れるために、目に見えるものを犠牲にしている、いわば自己責任の問題だったりする。けれどそれを他人に押し付ける構図ってのは、理にかなっていない。

第一やりがいとかいった精神的なものは、あくまでもプラスαの要素であり、ベースなものにはなりえない。いくら調味料がよいものでも、基本となる肉が腐っているレベルのものでは美味しくなることはないのと同じ。あるいは太平洋戦争時の「精神力で兵器の性能差や物量は凌駕できる」という戯言と変わらない。


医療や介護方面では特にこの類の話が出てくる。医の志とか社会的貢献とかいうのを振り回して、現場に隷属を強要させるという構図がおかしいと判断できない方がおかしいんだよね。


1ツイートでまとめるとイメージカットも合わせ、こんな感じ。医療にしても介護にしても、単純に現場が受け取る給与を、労働に即した適正な額に引き上げればある程度の問題は解決する(人手不足ですらも)のだけど、「受ける側の負担ガー」「医の志ガー」「万人へのサービス提供ガー」とお騒ぎなされる方々の声が大きくて、ねえ...という感。

受ける側のお気持ちは大切だけど、そのために与える側の気持ち・実情を蹂躙してもいいのか、ということなんだよね。「腹が減ったからタダで食わせろ」とレストランで食い逃げするような状態。あるいは万引きや違法コピーの正当化。例の漫画村事案でも、買えないから、売っていないからタダで読めるようにしろ、それを実現させているあの場は正義だ、正しい存在だとする意見があったのは事実。今件はその声が肥大化したような状況なんだろう。そういや例のマジコン騒動でも似たような印象があったな、と。

つまるところ、例のお気持ちマフィアの力が強くなっているのが問題なのだろう。

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このページは、不破雷蔵が2019年11月27日 07:59に書いた記事です。

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