テレビとはそういうものだと言えばそこまでです。限られた尺の中でされているので。
— 片木美穂 (@MihoK0913) November 27, 2019
テレビ局の方が流したと報告のお電話をくださったときに「話したことと違う意図に伝わったのではないか」とお伝えしたら「尺が限られてるんで」と開き直られました。
人生会議のポスターで議論している人たちは、一度このツイートをよく読んでいただきたい。
— Taka@救急医 (@mph_for_doctors) November 27, 2019
がん患者さん達が不安な思いを持たれていることはとてもよくわかります。
それでも
「人生会議そのものは大切に思っている」
と伝えていただいているのに、それを報道しないとは一体どういうつもりなのか。 https://t.co/HLEJHCUTo1
https://t.co/G8TrvYLoLZ
— 言峰_愉悦部副部長 (@k_kotomine) November 28, 2019
過去に何度か呟いたが、もう既にマスメディアの取材を受ける事自体をリスクとして捉えなければならないのだろう。今後、それこそ単語単位での切り貼りを行ってでも「欲しい絵」を作り出すかもしれない。「素材を提供しない」「利用許可を与えない」しか自衛の方法が無い
先日のポスターの件。実のところ当方自身もポスターが訴えかけている事案に関して当事者的なポジションにあったので、お気持ちマフィアの策動で台無しになってしまったことに色々ともやもや感があるのだけど。さらにこういう話が出てくると、やはり社会の弊害となっている存在の一つが、今の体質における報道、マスメディアなのだな、という認識を改めて行わねばならなくなった。
「マスメディアの取材を受ける事自体をリスク」というフレーズは大げさに思えるかもしれないけど、この類の話がソーシャルメディアを通じて定期的に、多方面から実情として語られるに、日常茶飯事的に行われているものとみて間違いない。まるでオレオレ詐欺のような。彼らは道端の石を拾い上げるような感覚でいるのだろう。
何度か説明しているけど、基本的に報道の取材は受けない。受けるとしても「自身でも取材の様子を何らかの形で記録する(レコーダーでも映像でも。メモの類は素のデータにならないからダメ)」「その記録内容を報道側の許可を得ずに自身の判断のみで公開する権利を持つことを報道側に確認させる」の上で。これは自分の身を守るための保険的行為に他ならない。
経験則からいうと、この類の保険をかけると、大抵は逆切れするか、取材そのものを断ってくる。要は正当性があるにもかかわらず、そういうことをされることに慣れていない、さらには手立てを講じられると都合が悪いことがあるのだろうな。
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