あの人生会議の小籔さんのポスターは、今末期癌と闘って延命治療をするかしないかの話し合いをしている患者と家族じゃなくて、自分や自分の家族がそんな命の瀬戸際に立たせられた時の想定なんてしてない、いざそうなった時にはもう話し合いが出来る状態ではないかもしれない人達へ向けたものでしょ
— 雨野マヒロ (@mahironoame) November 29, 2019
宇崎ちゃんポスターの時も言ったけど、「医療に関連する真面目な目的のポスターや問題提起は、真面目で無難で高尚でなくてはいけない」というのはとても一般的な感覚だけど、その一般的な感覚でこれが相応しいと判断出来る無難なポスターは、元からその問題に対する意識が高くない人にはスルーされるよ
— 雨野マヒロ (@mahironoame) November 29, 2019
先日の献血ポスターと先の人生会議のポスターで共通する違和感を覚えていたのだけど、頭の中にあったもやもやとしたその考えがすっきりと文字として体現化されていたので、自分自身の覚え書きも兼ねて。
結局のところプロモーションの類は、必要としている、ターゲットとなる対象に届くもので無ければ意味を成さない。愛犬家向けの本に猫缶の広告を打ってもさほど意味はないよ、的な。
個人的には双方の事例とも、ターゲティングとしては大成功の部類に違いなく、それを範ちゅう外の界隈がお気持ち棍棒で殴りつけてきたという結果なのだと思っている。医療に限らず真面目で無難で高尚じゃなきゃいけないってのはよるある話だけど、それは単なる消化試合的なものしか出来上がらないし、無駄使いだと揶揄されるし、そのようなものでもクレームをつける界隈は確実に存在する。
だから基本的に、法的なレベルでの問題が生じるような場合でない限り、あの類のクレームは無視するのが最適解だと思う。見方を変えれば、どんな細かい可能性、思われ方にもいちいちお気持ちマフィア的なクレームをつければ、対象となる行動を封印する事が出来てしまうのだからね。
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